ありがとう...。
改めて思い返してみれば、平地でビッグギアを踏むときの独特のウイップ感がBMCにはあった。逆にしっかりとヒルクライムしたいときは、プリンスのほうがラクだった。
私は再びロードバイクを再開する日は来るだろうか、と手のひらを見ながら問いかける。
"Taking the Tiger Mountain by Strategy" - notes on road bike and random things
ありがとう...。
改めて思い返してみれば、平地でビッグギアを踏むときの独特のウイップ感がBMCにはあった。逆にしっかりとヒルクライムしたいときは、プリンスのほうがラクだった。
私は再びロードバイクを再開する日は来るだろうか、と手のひらを見ながら問いかける。
何を隠そう、私にとってNo. 1インフルエンサーは、岡田斗司夫(さん)だ。
私はドワンゴやニコニコ動画的な文化は一切経験していないので、彼がそのあたりをメインフィールドとしていた時期は知らないが、それでも結構昔から彼のことを知っていた自信はある。
ホリエモンでも、ひろゆきでも、成田祐輔でもない。
オタキングこそ、いまだに私淑してやまない人物である。
*****
そういえば、成田祐輔はブレイクした時期、すこし興味をひかれた。
彼の発言ではなく、スタイルにである。
成田祐輔について一言、私の印象を書いておきたい(他にこのように語られていることを見たことがないので)。
世の中には中二病という言葉があるが、それ以外にも大学院の2年目ぐらいに陥りやすい院二病というものもあると思っている。マイナーな論文でも誇大妄想的に評価したり、本質重視の独善的な論争スタイルをとり、ゼミ臭がプンプンする課題設定をするような季節病だ。
はじめて彼を見たころ、成田氏には、ものすごい院二病を感じた。ああ懐かしい、院二時代の万能感、あとで見るとこっ恥ずかしいこの感じ!である。
のちに、それは彼の独特のユーモアの一部であり、相手に合わせてあえてオフビート、あるいは斜めの角度から言って、アテンションを引くような、あくまでもスタイルなのだと分かった。ここで重要なことであるが、真に特徴的なのは、彼の発言の内容自体よりも、スタイルである。
しかも、ある種の天才的なスタイルの編集人である。実際の話の内容は、データを見て正直になろうよ、意味ないことに意味あるフリをするのはやめようよ、という常識的なことである。あくまで個人的にであるが、ああゆう世を捨てた達観者を気取るスタイルに「インフルエンス」されたくない自分に気が付いてから、成田氏の動画は見ないようにしている。
ここで気が付いたのであるが、成田氏は、あの(全盛期の)浅田彰にそっくりだ。
私は浅田彰は遅れてきて読んだのでリアルタイムではないが、なんとも似ているではないだろうか。余談でした。
*****
本題のオタキングである。彼が提唱した理論(本質論)のなかで、もっとも素晴らしいものが3つあるので、ここで紹介したい。(私が知らないだけで、もっとあるかもしれない。)
この3つは素晴らしすぎる。美しい話なのである。
まず、1については、欧米的な、あるいはTED的な、アジェンダ設定文化というものに少々食傷気味な私にとっては、とても腑に落ちる話であった。
2については、おそらく岡田斗司夫ファンの周りでは有名だと思う理論なので、ここでは触れない。
3については、あえて、すこし話を拡張したい。
もともとオタキングの提唱しているのは、「笑い」=「攻撃性の代償行為」である。
ここで少し前置きとして、もともと仏教的な人間観が基底にあることを押さえておこう。「私」とは、西洋的な自立した個人としての「人間」ではない。私とは、連続的な入力情報に対して、ひとつの単位として対応するためテンプレを集めた不完全なまとまりである。
このようなモチーフは、たとえば、オタキングが政治的な問題を語る際にも垣間見える。「私のなかで1割は〇〇を支持する、別の1割は△△を支持する」といった具合だ。これはオーバーロード仮説とも通底している。
さて人間は、特定の強い信号に対して、それをそのまま受け止めて記憶に保存したり、出力側に発露(行動)するのではなく、変換するパターンをいくつか身に備えてきた。そのひとつが「笑い」である。
笑いは、攻撃性を出すとき、あるいは攻撃性を受けたとき、それを別の感情に変換したものであるというのがオタキングの主張である。たとえば攻撃を受けたとき、攻撃を受けた人を見たとき、攻撃をしたいとき、などの状況で、「攻撃」という本来厄介で、精神的にも負荷の強い情報を、もっとソフトな感情に置き換えるのである。
それゆえ「地獄には爆笑があふれ、天国には微笑しかない」のである。
オタキングは、こうした「本質論」について、しばしばハインラインのSF小説を出典にしているところが、非常に面白い。そもそも、オタキングはガイナックスの初期の時期に「感動」の本質について探求していた時期があり、そこからさまざまな発見をしたという。
では、その感動とは何か。
オタキングによれば、感動は、罪悪感であるという。人間は罪悪感を感じたときに、それを背負うのではなく、「感動」という感情に変換させることによって、「私」としての精神の一体性を保つという。そして、そこに物語としての整合性が生まれるのだ。
これもまた面白い主張だ。だが、私は少しここで、自説を入れたい。それがこちら。
感動のところだけ、私は「罪悪感」ではなく「犠牲」と置き換えた。オタキングの言う「感動」は、もちろん罪悪感を含むが、「犠牲」のほうがもう少しコアをついていると思う。いかがだろうか。
オタキングへのリスペクトを込めて、少し書いてみた。
これは神本かもしれない。
最近ようやく読了した(演習問題はまだ)ので、軽くメモ。
統計学を学ぶとき、数学的な側面にどの程度こだわるかという問題がある。
統計学では、奥深いテーマを考えれば考えるほど数学的な議論がメインになってくるのだが、誰しもが数学的な素養があるわけでもないし、時間をかけれるわけでもないし、そもそも好きかどうかも分からない。
その上で、「統計学を、数学側の視点からもやってみようか」と思ったとき、独学者が一歩踏み出すための指針となる本が意外とない。私の知る限りでは「統計学のための数学入門30講」(永田靖、朝倉書店)と「大学の統計学」(石井俊全、技術評論社)あたりであろうか。マセマの「統計学・演習」は出発点としては極めて秀逸である。
本書は数学的な理論がメインで、実践的な内容は書かれていない。数学のみを語るという意味では、「統計学のための数学入門30講」のテイストが最も近いが、同書はやや「数学の復習」という体裁が強く、それでいて数学をほとんど知らないか忘れている人が取り組むような流れになっていない。情報はあるのだが、味気がない、いわゆる「まとめ本」なのである。登山で例えれば、装備の説明と、各山麗の攻略法の概要を載せているような流れである。
だが、統計学で使われる重要な諸定理を片っ端からクリアしていこうとすると、この3つの書籍のいずれも、やや物足りない。実際に、自分の手で計算をして、定理を導出できないものか、という思いを抱く。
その点で言えば、本書は数式の行間をひたすら追っていくスタイルである。山登りをするときに、実際のルートファインディングして踏破することが目的の人にとっては、こちらの方が実体験を与えてくれるので都合が良い。特に後半は高度感が増してくるので、次のレベルを目指すための下準備としても良い。
私は高校2年生ぐらいから数学はほぼ何もやってこなかったタイプである。「ああ、こうやって歩くんだな」ということを、数式で一行一行踏破していくことができるのは、非常にタフでやりがいがあった。そこには、ルート攻略をイメージしながら、ステップを踏んでいくという、フィジカルな経験にも似た楽しさがあった。
本書は、統計学の数学という、本格的な山脈の歩き方を教えてくれるナビだが、大学初級程度の数学的道具をもっていることは前提となっている。具体的に言えば、微積分と線形代数の基本定理、マクローリン(テイラー)展開、ランダウ記号(余剰項)の処理、重積分、2変量の変数変換、ヤコビアンの処理あたりである(特性関数、ベイズ統計やルベーク積分は使われていない)。完璧に使いこなせることはないとしても、これらの道具の扱い方を多少は心得ておかなければ、前にも後ろにも進めなくなるだろう。そのあたりは読者がどうにかしなければならない。
ただ、これは数学素人の私見だが、統計学で使われる数学は、それなりに高度な理論を使うのが、それぞれの理論分野においては、とてもシンプルで見本のようなセッティングが使われるのである(例外がなく、条件設定が少ない多いと言えばいいのか)。もちろん、他書や、ネット上で解法を解説している情報を見ていると、そんな証明方法は思いつかないなぁと思うようなパズルっぽいことがなされていることもあるのだが、少なくともこの本は普通に踏破できるような道筋で、どこまで行けるかを示していると思う。その点、誰かに教わるのでもなく、ただ勝手にやっているだけの(私のような)完全な独学者でもどうにかなる。
関係ないが、さいきん山登りにとても興味がある。自分の足で険しい山道をすすみ、途中さまざまな中間ポイントを経由しながら、自分の道具を再点検し、ルートを確認して、さらに先に進む…、ということが似ているのかもしれないな。
Godin(ゴダン)というのはカナダのギターメーカーで、極めてユニークかつ高品質な製品が特徴だ。基本的にアコースティック系の音を求める人にとって気になるブランドだと思うが、ゴダンのギターには、そこに非常に精密なエレクトリックなシステムが融合している。エレクトロニクスとアコースティックのハイブリッドだ。
メカニズムに関わる部分を大げさに言えば、通常のエレキギターはアンプの性能(鳴り)を出すためにピックアップの特性とボディが決まっており、通常のエレガットはボディの音(鳴り)をできるだけそのままマイクで拾って増幅することを目指しているとすれば、ゴダンのそれは少々異なる独特のアプローチだ。まず、生音で言えば、サウンドホールはないものの、基本的にガットギターの音と言った方が良い。しかし、そのままガットギターの音ではなく、ソリッドギター(さらにいえばテレキャス)の音が聴こえてくる。予想外の感覚だ。クラギの言い方で表現するならば、シダー系の素材で、乾いていて、芯のある響きが全フレットに感じられるが、そうはいっても高次倍音の反響の大きさで装飾しているようなところがない。反響おさえたムラのない音と言えるかもしれない。これまでで14台目のMac、MacBook Air (M1) をポチしました。
この記念に、これまでのMac歴を書いてみようと思います。
そろそろ記憶も薄れてきました。昔のMac歴を思い出せるのは、そろそろ限界そうなので、自分のため?にも記憶を残しておこうと思います。
1. LC630
これが最初のマシンで、OSは漢字Talk 7.0でした。一緒に買ったのは「Mac VJE-Delta」「RAMダブラー」あたり。一番やりたかったことは、多言語でのレポート作成(「Nisus Writer」)と、音楽関係ソフト(「MOTU Performer」)を使うためでした。
音楽と言えば、シンセサイザー(Korg 01W)と、Yamahaの8 track MTRがつながっていました。この時期はたしか「Apple MIDI Manager」というアプリで、Apple Talkという通信ケーブルを使ってMIDIをやり取りしていましたが、当時の私にはほとんど理解できていなかったと思います。(ちなみに、現在のOS XのCore MIDIのインターフェースを見てみると、当時の面影を少し感じます。)
パソコンってのは本来、道具であるはずなんですが、いろんなことをするのが楽しくて、何か新しいことを「試すこと」自体がパソコンの使用目的みたいになっていったのでした。そう、誰にとっても10代後半から20代にかけて、新しいことを浴びながら自分の世界観が広がっている「ワクワク感」の時期があると思います。自分のいた時代に、社会で何が変革していたかによって、その世代の人が「ワクワク」することの内容が違うと思いますが、私の場合はインターネット直前から黎明期ぐらいの時代の社会の移り変わりには、リアルタイムで新しいことを実感するワクワク感が強かったです。
そうです。私の世代は、アナログやインターネット以前の時代をギリギリちゃんと知っている世代なんです。上の世代はアナログの世界観でやっているのを見ていたし、その雰囲気はわかる。ネットですべて変わっていった時期も知っています。デジタルネイティブ世代ほどはデジタル・オンリーではないが、そもそも80年代のテープレコーダーを使ったPCのスタート地点から体験しているし、上の世代ほどデジタル・ディバイドされていません。アナログを体感している最後の世代で、デジタルのスタート地点に世代だとすると、これって人類史的に貴重かもな、と最近思い始めています。
2. PowerBook 540c
ほどなくしてノートパソコンへのあこがれが高まり、乗り換えました。当時はTFT液晶の価格は高く、ぜいたくな買い物だったと思います。ハードウェアのデザインはユニークで素晴らしく、現在だとこのような似非SF的なデザインは絶対にありえません。
良いものを買ったのだからこれで落ち着いて大学生活をきちんとやるかと思いきや、やっぱりパソコンで遊んでばかりいて本末転倒なのでした。学業もそれなりにちゃんとやってましたけど。
インターネットに接続したのもこの時期。OSには標準機能として取り入れられていなかったので、TCP/IPスタック、電話回線用 (PPP) のコンフィグなどをいくつか入れていたような気がしますが思い出せません。ネットでは、ヨーロッパの美術館などがかなり大規模な画像データを公開してくれていたりして、当時は好きだったので、かなり大量に見た気がします(自分で画集を買うことなんてできない)。
ネットでAppleのページを見るようになると、やれOSのバグフィックスだ、バージョンアップだという情報に左右されるようになり、悲しいかな、漢字Talk 7.5.1が7.5.2になったぞ!とかそういう非生産的(後で考えれば)なことに一喜一憂するようになったのでした。
最終的にはOSはUS Ensligh版をベースにして、Language Kitを入れるスタイルでした。日本語キットだけでなく、キリル言語、中国語、ヒンディー語などすべてあったたような気がします。この時の経験は、大学で多言語編集のバイトをしているときに役立ちました。
3. PowerBook 5300c (Black Bird)
AppleがCopland/Open Doc構想を出して、PowerPCへのアップグレードが必須と語られるようになりました。そんなわけで私もしぶしぶ(喜んで)PowerPCを搭載したマシンへと切り替えました。このマシンも素晴らしいデザインで、シックでもインダストリアルでも、どんなデザインの部屋にでも置いているだけでもサマになります。
また、ドッキングステーションがついていて、様々な機能を持ったパーツと取り換えることが可能でした。私は、MOドライブ、HDドライブの2つのパーツを持っていました。
このときは、Apple陣営のOpen Docコンセプトと、MS陣営のOLEコンセプトのどっちが素晴らしいのかという論争がありました。Open Docを触ったときは非常に新鮮で、驚きました。結局Open Docの正史としては実現しなかったことになっているのですが、いまの感覚でいうと、Web Page上に小さなアプレットを簡単に乗せて、ユーザーは自分の好きなようにそれらを組み合わせてページを作ることができるような世界、というようなイメージに近いでしょうか。今の感覚でいえばそれほどすごくはないですね。OLEのほうは、もっと普通に実現しています。
Open Docから生み出されたスタンドアロン・アプリとして、Appleのウェブブラウザの「Cyber Dog」というのがあったのですが、これは当時の水準でいえばなかなか優秀でした。世間では「Post Pet」が流行っていた時期だと記憶しますが、私は「Cyber Dog」を1年ぐらいは使っていたと思います。
4. Macintosh Classic
正確な時期は忘れましたが、友人からもらって、一時期、部屋に飾っていました。OS6.0.7だったと思います。
5. Macintosh Color Classic II
正確な時期は忘れましたが、友人からもらって、一時期、部屋に飾っていました。カワイさでいえば、Macのなかでナンバーワンで、Macと言えばこれというアイコン、シンボル的なマシンだったと思います。(Mac Classicより、カラクラのほうがカワイイ。)
このあたりの時期のガジェット方面では、AppleのNewton Messagepad、Palm Pilot、ザウルス、IBM PC110、Win CEあたりには一通り手を出しています。この分野全体でみんなが(iPhoneが登場するまで)とにかく「正解」を探しているような時代でした。客観的に言えば、HP LXシリーズやPsionを持っている人が一番幸せになったと思います。私は、欲しいものに出会えない旅に飽きてしまい、これ以降、紙の手帳派になりました。
ちょっと中身の話ですが、Newton OSの斬新なユーザーインタフェースと、それを生み出している開発環境が面白いと思いました。Newton OSの開発環境は、たしかObject Pascalだったと思います。そして、それを何千倍ものスケールにして成功させたのが、iPhone + Objective Cだったのではないでしょうか。
さらに言うと、コンピュータの動作、OSってなに?アプリってなに?みたいな部分で、本当に面白いと思ったのはSmalltalkです。たぶんこの時期だったと思うのですが、商用Smalltalk-80のフリー版や、Squeakといったものを触っていたのでした。Smalltalkを触ったときのびっくり感は忘れられません。はじめてUnixのネットワークシステムを触らせてもらったときの感動は「なるほどね!これは確かにしっかりしたシステムだ!これで原理的に世界とつながるな!」だったんですが、Smalltalkに出会ったときの感動は「なにこれ!?すごいことはわかるけど、マジックみたい。ちょっと分からないけど、とにかく触って、少しでもわかってみたい」でした。結果、Adele GoldbergのSmalltalk-80も読んでいます。
私にはいまだにあの時の感動が残っていて、日常で仕事のことを考えているときもオブジェクト指向的に分析する癖があります。もっと飛躍して言えば、例えば憲法や法律なんかは自然言語ではなく、Smalltalkのようなオブジェクト指向言語で書いたらいいんじゃないかとすら想像してしまいます。AIで裁判官を作るよりもいいんじゃないかしら? 新しい判例なんかもすべてオブジェクト化して入れていくわけですね。親権と債権とかは共通部分はクラス・オブジェクトにできそうですし、各種の法令内で派生させる場合は、インヘリタンスさせてるとよさそうです、等々。人間には読む、解釈する、書くというアナログな行為が残りますが、それって大事なことで、ブラックボックスのAIよりもよほど一貫性、透明性があります。
6. Akia Mac clone
Akiaという国内メーカーのクローンマシンです。高品質の液晶がついて割とリーズナブルで、一時期使っていました。たぶんこの時期ですが、Virtual PCか何かのエミュレート環境にNext Step/Open Stepを入れようとして、悩んだり遊んだりしていました。なんでそんなことを思ったのか、まったく思い出せません。たぶん友達と盛り上がったのでしょう。
さて、Appleの完全オブジェクト指向型アプリケーション実行環境であるOpen Doc構想が失敗なのは明らかとなり、大学のゼミなんかでもWin NT/Win 95のhigh-low mixがいいんじゃない?的な風潮になっていって、ちょっと寂しい思いもありました。
余談ですが、大学であまっているPPC 601 (80MHzクラス)のマシンにBe OSを入れたら、あまりのスピード感に、度肝を抜かれました。当時の日本のメーカーには、Be OSを買って勝負をかけるというアイデアはなかったのでしょうか。
この時期は未来の予測が難しい時期でした。Web 2.0も、SNSも、スマホもYouTubeもなかった時代です。ひとまずアプリケーションがネットワーク対応型になる(クラサバ型とかいろんなタイプがあります)的な話で「Javaどうするよ」といった議論がなされていた記憶があります。よく覚えているのは、Wired誌の2つの特集記事で、「To be, or not to be」というBe OSを扱った号と、「What's NEXT?」というNext Stepを扱った記事で、それぞれ刺激的な内容でした。うろ覚えですが、後者ではAppleに戻る前の一番複雑な時期のジョブスが、Enterprise Object Modeling、WebObjects、Agent oriented modelといったタームと語っていました。私は学部生の身分だったので、本業と関係のないことをあれこれ読んでいる時間はありましたね。
7. SE30
正確な時期は忘れましたが、友人からもらって、一時期、部屋に飾っていました。LANのアダプターをパーツ屋(たぶん「秋葉館」)で買って増設。NetBSDのインストールを試みた思い出があります。BSD Unixを入れて何をしたか(したかったのか)は、思い出せません。Unixなんて大学にいくらでもあったから、たぶん目的なんてなかったでしょうね。
古い世代Macのマニア的には、このSE30と、クアドラ700が、Macのハードウェアデザインの最高峰だと位置づけられていると思います(たぶん)。個人的にはMac Cubeが一番好きですが!
8. PowerBook 2400 (Comet)
いわゆるサブノートサイズで、十分な処理速度がありました。大学でレポートや論文を書くことが多くなったこの時期、まさしくベストフィットなマシンでした。原稿のメモ書きみたいなことが半分、きちんとした推敲が半分ぐらいだとしたら、それぞれベストな環境は別となるはずなんですが、そういうメモ書きも、仕上げも、効率的にできる良いマシンでした。図書館などでポチポチできる、ゼミ室のレーザーライターを使いたければ、さっと持って行って使える、みたいな。
9. MacBook Pro (Pismo)
値段でいえば、その後も含めて、最高金額だったと思います。あの時期のレジン系の筐体で高級感を出すデザインとしては、ThinkPadの伝統的なデザインと双璧をなす、ノートパソコンの到達点ではないでしょうか。時期的には修論から博論にかけて、遊びでいえばCuBASEがノートでガッツリ動くという感じのマシンでした。
CuBASEは良いソフトで大好きでした。ただ、ガッツリ動くと言っても、オーディオプラグインでシンセサイザーを数個立ち上げるとすぐにCPUメーターがマックスするになるので、余裕はありません。また、この時期はなぜかFM音源が好きで、モジュレーターとアルゴリズムを組み合わせて、いろいろとサウンドを創る深みに触れるのが楽しかったです。
ハードウェア型のシンセサイザーとしてはチョット奮発してYamaha Motifや、MU2000があり、そこにFM音源と、Virtual Accousitic音源のカードを指していました。
MAXについても触れておきましょう。Opcode MAXというアルゴリズム作曲ソフトは、結構初期バージョンから知っていました。新宿の初台にあるNTTのセンターにある「Intercommunication」のスタジオにあったMAXのセミナーをうけて、そこで刺激を受けました。(これもかなり薄い記憶ですが、私の隣に座っていたのが、あとで考えれば、よくテレビに出ているジャーナリストのモーリー・ロバートソンさんだった思います。ちがったらすいません。)
このMAXに、映像系のアルゴリズムを実装したmspというモジュールがついて、一般的に認知度が上がったのは多分この時期だったと思います。私にとっては完全に趣味の世界だったのですが、MAXって学業の合間にちょっと創造的なことをして息抜くにはちょうどよく、大学院の授業が忙しくなってきた合間をぬって、ちょっとした作品を作り、どこかの工業大学が主催したセミナーで発表したこともあります。やったことだけは覚えていて、マイケル・ナイマン的なミニマム・ミュージックの旋律が生成されるようにプリセットします。それに時間軸で変化をかけたものを重ね合わせていき、スティーブ・ライヒばりのモアレを出します。それが音楽部分で、きちんとしたメロディー感のあるものにしています。その上にサウンド系のイベントと連動して、画像系のオブジェクトがスイッチされるようにして、映像も自動生成されるようにしたものです。(趣味レベルで一晩で作れる簡単なものですよ。)
あまり話題になりませんが、MAXのもっていたパッチ・プログラミングのスタイルは、その後のあらゆるプログラミング教育ソフトに影響を与えているんじゃないでしょうか?
そういえば、そのMAXの元となるシステムを開発したフランス・パリのIRCAMを訪れたのは、下のMacBook whiteの時代でしたかね。そういうつながりも自分の中にあります。
他方で、OS X Developer Releaseをインストールしました。これには思わずうなりました。良いとも悪いとも言えない微妙さに。私はソラリスの上に乗せたOpen Stepのデモ機を触ったことがあって、そのあまりの微妙さを知っていたので、BSDの上に同じことをやったMac OS X "Rhapsody" は、まあそれと比べたら全然いいけどね、ぐらいの気持ちでした。
10. MacBook plastic white
Appleがハードウェアに固有名を付けなくなってきた時期で、もう具体的なマシン名はわかりません。このマシンは博論の作業環境でした。ドラフトは標準のエディタでrtf形式、図形はイラレで描いてベジエ化した素材、仕上げはMellelというイスラエル製のワードプロセッサーを選びました。最初にMacを買ったときに選んだ「思い出のNisus Writer」に最も使い勝手の近いソフトが、このMellelでした。非常に使いやすかったです。
ちなみに、私は大学時代に何度もLaTexに行く誘惑にかられました。何でも教えてくれるLaTexウイザードみたいな人もいましたが、結局行かずじまいでした。いまだったらMS Office一択ですけどね...。
Mac OS 9が、Mac OS Xに完全移行したのがこの時期です。MellelはOS X対応という点でも、当時の私にはベストな選択肢でした。
11. MacBook plastic white
このマシンから、Intel Core2Duoとなりました。よく覚えていませんが、子供(赤ちゃん時代)に電源ケーブルをナメナメされて、調子が悪くなったとか、そういう理由で次のマシンへと移りました。
Mac OSは、Lionぐらいから完全に安定し、完璧になりすぎたせいか、逆に気になることすらなくなりました。もう動けばいいやぐらいの感じでしょうか。ライフスタイルそのものにも、アナログを如何に適切に取り入れるかに注意するようになりました。
12. MacBook Pro (13) 2012
2000年代の中ごろからAppleは急激に総合的な製品開発力が高まっていきました。なんというか、iMacみたいな企画力というよりも、実際のパーツの作りこみだとか、ソフトウェアとの融合という部分です。別の角度から言えば、尖った製品力があるだけではなく、全方位的にものづくりメーカーとしてみてもずば抜けているという感じです。要は日本車みたいな強さのスタイルですね。
とりわけ、このマシンがでたのはジョブスの神通力が強く出ていた時期ではないでしょうか。このころのApple製品は隅々まで品質が高く、品質を考えると価格も安いと思います。スタバを見ればMac Airだらけという時代でした。
私自身は逆にApple製品への興味が全くとは言わないがどんどんなくなっていき、どうでもよくなっています。それでも1台選ぶとしたらMacですけどね。
このマシン、いまでは、CPU的には最新アプリを動かせなくなったけど、それでもセカンドマシンとしては普通に使えます。
13. MacBook Pro (16) 2019
現在のメインマシンです。Windows 10とのデュアルブート環境になっています。98%ぐらいはWindowsが走っているという、Macはどこ行った状態です。
14 MacBook Air (M1)
Panzer Corps 2攻略、最終回
前回からの続き、Panzer Corps 2攻略日記です。史実では、西部戦線と東部戦線での劣勢から総崩れとなり、いよいよ国境沿いの後がないところまで追い詰められます。ここでドイツは、起死回生の無謀な作戦を2つたてます。
アルデンヌ攻勢
まずは西部戦線で連合軍の補給地を急襲するためのアルデンヌ攻勢から。史実ではTiger 2で精鋭部隊を組んでアルデンヌの森の突破、アントワープ港の奪取までをもくろみます。序盤はTiger 2の性能にものを言わせて突進し、奇襲効果もあって敵は大混乱に陥ります。しかし、補給がない、制空権がないのでそもそも行動が制約されているなどの理由で、道半ばで作戦失敗となります。
というわけで、ゲーム上のマップを見渡してみます。まず問題の森林地帯ですが、移動がうまくできないので、これを使って敵の側面をつきたくても、あまり成果を期待できなそうです。そもそも制空権が取れていることが前提であり、うかうか森の中に部隊を入れて渋滞を作っていたらいい標的になりそうです。ちまちまやってナミュールまで突破できるかどうか?
それよりも敵の正面を抜きます。リエージュを主攻勢軸にして戦線を構築。森は、逆に盾(バッファ)にみたてます。主力の各種部隊をきちんとフォーメンションして、対空砲もきっちり配備。結局どのマップでもそうですが、制空権の確保を最優先とするべきです。
リエージュとその前方は敵がかなり固いので、じわじわした打ち合いになりますが敵にとっても攻めにくい地形です。野砲は徹底的に育てているので、火力を集中できる陣形を組めさえすればチャンスは来ます。程よいタイミングで渡河して背後からリエージュを包囲。リエージュを落とすころには敵は戦略的予備を失っており、ナミュール側の部隊とも邂逅します。あとはブリュッセルまで一気に狙えます。これで当時のドイツ軍が夢にまで見たブリュッセルの再占領が成功です。
ゲーム中は始終、敵の行動は消極的で、波状攻撃で襲ってくるような局面はありませんでした。史実でのドイツ側の奇襲的な性格を反映して、敵AIが調整されているのかもしれないと思いました。
つぎは、春の目覚め作戦で、ここで東部戦線に戻ります。この戦いでは、ハンガリー方面の油田地帯を確保するためにブタペスト近郊で会敵、付近の領土を取り返すような想定で作戦がたてられていました。といっても典型的な無謀作戦であり、史実では虎の子の戦車部隊を無駄に損耗しただけの結果となりました。
加えて、史実ではバラトン湖北部を主軸に東進し、ソ連軍部隊の突出部をバルジ的に挟み込むことを目指すも、あっさりと敗退します。ゲームでも敵の突出部が何となく再現されているようで、この時期にふさわしい重厚なソ連軍機甲師団が配置されています。
一方ドイツ側ですが、バラトン湖の南北に2方面に部隊を配置できるようになっていて、史実とは別の状態ですが、ブタベスト近辺で南北から敵を挟み込むことができそうです。とはいえ、こんな強そうな機甲師団を挟む気になんてなりません。(このゲーム、じつはヴェレンツェ湖と混ざってデザインされているんじゃないかなぁ、そのほうが史実に近い地理感があるかも。)
いずれにせよ北岸の部隊が敵の主力を迎え撃つのは避けられないので、まずは策源地からどのように陣地を組んでいくかを考えます。基本はこれまでと同じです。基本的にソ連軍はスチームローラ(ドクトリン通り?)で来るので、野砲等で敵の第1撃を防ぎます。そのあとは徹底的に航空戦力を使って敵の地上勢力を削っていきます。味方の戦車はとどめのところで使うといった、ピンポイントを意識します。これはエアランド・バトル的なドクトリンなのかもしれませんね。このころの敵はSU-122など、Tigerクラスでも打ち負ける敵がどんどん出てきたので、そもそも地上での戦車同士の打ち合いをやっても、新規兵の部隊ではまず勝てません。できるだけ避けます。
そんなこんなで、ドクトリン通りに展開させます。ブタベスト近辺は敵が固すぎて前に進めませんが、バラトン湖の南方方面の部隊との合流を待ってブタベストに進撃します。というわけで、部隊合流のシナリオを果たして、この時期のドイツだったら99%ありえなかったブタベストの奪還を成功させました。そうして最後のベルリン攻防戦へ。
ベルリン攻防戦
いよいよ最終戦になりました。ベルリン市街を残してすべて敵に制圧され、完全に取り囲まれている状態でスタートします。(全域マップを見ると、真っ赤です。)部隊配置場所は市街の複数個所を選べますが、今回は悩みました。最終的に空港が使える南部の2つの場所を選択します。
市街のほとんどを敵にとられること、そして自軍の拠点は完全に孤立した運用となることを想定します。そこで対空砲、野砲、戦車、歩兵などの必要数を計算してきれいに2つに分けて配置します。
具体的には、やはりエアランド・バトルを考えます。優先順位としては、制空権をとるために必要なものは空港であり、それぞれの空港に対空砲は2つは欲しいです。それらを守るために必要な野砲数、その野砲を守るために必要な部隊と部隊数を決めて、配置していきます。それらができれば、あとは敵の猛攻を防ぎきれるかどうかです。
これまでに対空砲は徹底的に鍛えてあったので、数波にわたって飛来した敵航空機の攻撃をすべて防ぎきります。そのあとは温存していた地上攻撃機をフル展開して、敵のアセットを削っていきます。
ここで、これまで全マップ中で初めての部隊の損失が出ました(パンター)。Prestigeは十分にあるし、最後なのでまあ良しとしましょう。
そんなこんなで敵を撃退し、市内のすべての拠点を奪還して、めでたく勝利しました。
最後に思ったこと、コツとか
読む人はいないと思うけど、コツをちょっと書いておこうと思います。まずHeroの属性で、embushかhideか、とにかく隠れるスキルがあります。そういうスキルは、すべて、Flak 88、対空砲に付与します。このように対空砲をできるだけ隠して強化していけば、敵の航空機はどんどん突っ込んできてくれるので、断然優位です。
野砲は、関節射撃で自軍ユニットを守ってくれます。このとき、対ソフトタイプか、対ハードタイプかを計算に入れる必要があります。(榴弾か徹甲弾かみたいな違いにしてくれたら、もっとリアルだったのですが。)具体的に言うと、15 cm以下の野砲だと対ソフトスキンに対応してくれます。敵歩兵の肉薄攻撃を避けるのが最優先なので、陣地を守るためのユニットとしては15 cm野砲の一択となります。これに対して、敵の野砲や対空砲と直接撃ち合いたい場合は、射程と口径がものを言います。18 cmや22 cmなどが選択肢になりますが、このクラスの砲はロジスティック(unit slot)をとても消費するので、敵の野砲や対空砲と撃ち合いたいマップ以外は、使わないほうがいいぐらいです。
敵は基本的にスチームローラー的な電撃戦で向かってきます。侵攻作戦よりも防衛戦が主体となる後半では特にそうです。敵の動きには数回の波があるので、波の有無を見極めることが重要です。敵が攻撃的に動いているときは、こちらは防御陣形の維持を重視します。敵が引き気味の時は、こちらが前に出ます。
最後に、地上攻撃機はとことん過保護に育てたほうがいいです。もちろんすべての兵種を使い捨てにしてはいけません。ですが攻撃機は自軍の槍に相当するもので、脆さもあるので、できるだけ守る必要があります。逆に言うと、戦車部隊を重視しないことでもあるので、そのへんは戦車戦を重視したい場合は違うかもしれませんが、基本はエアランド・バトル的なドクトリンのほうがうまくいくのではないかな。
このゲームでは、西部戦線ですら、連合軍の航空戦力は意外と少ないです。史実だとムスタングが出てきたころには空はどうしようもなかったのだと思いますが、対空砲をそれなりに育ててきちんと運用していけば、そして、たとえBf109、Fw190でも育てておけば、ドイツ側でも制空権をとれるようになっています。その代わり、米英の戦闘車両は、なんだか微妙に強く補正されている気がするのですが…。
強い兵器や珍兵器をいれてunit slotやprestigeを消費するよりは、定番の兵器を育てて使い続けているほうが良いです。具体的にはTigerよりもPantherだし、コメットやシュヴァルベをいれるよりも109, 190で十分です。突撃砲は、敵の陣地や都市を攻める前半では人手が足りない時に役に立ちましたが、後半では微妙な存在となりました。44年ごろから出てくる自走対空砲ですが、そのころにはFlak 88が強く育ってきていたので、そちらをとことん使いました。つねに節約的に部隊を選択・運用するのが正しいと思います。
ということでPanzer Corps 2、バニラ版ですがまあまあ楽しみました。
Panzer Corps 2攻略、その後のその後のその後
前回からの続き、Panzer Corps 2攻略日記です。クルスク戦のあと東部戦線をいったん離れて西部戦線に移ることにしました。
イタリア戦線へ
まずは連合軍のシシリー上陸に対応します。これは連合軍主力兵器の性能を見る程度、さや当て程度で終了しました。航空戦は互角以上でいけそうですが、M4や対戦車兵器が意外と強いので、嫌な予感がします。
次のサレルノはさらに面倒でした。イメージとしてはTigerやPantherクラスがあれば楽ができると思っていたのだけど、ちゃんとやらないとこちらが崩れます。このマップで強く感じたのですが、おそらくゲームデザイン的に東部戦線と難易度を合わせていると思います。(陸戦はそれなりに強敵。ただし空戦はそれほど怖くないというイメージ。)
サレルノ戦では山脈の関係で部隊の連携が取れず、配置が整わない初戦は苦戦しましたが、敵の第1波を抑えた後は部隊配置を整理して善戦。東部戦線と同じ戦法で、連合軍に勝利しました。
その次のグスタフ・ライン攻防戦では、連合軍の攻撃はさらに厳しいものでした。ただし、こちらでは地形上防衛しやすい陣取りで進行できたので、野砲を固めて隙のないように敵を迎えていけば、損害自体はそれほど出ませんでした。
ただし油断は禁物で、自軍の援護射撃の圏内から少しでもずれると敵に集中的に攻撃を受けます。どうしても防衛ラインには野砲でガードしきれない部分があるので、そこは守りに徹したり、後方で補給したりといった連携が欠かせません。PantherのほうがTigerよりも足が速いので、火消し係にはPantherのほうが重宝します。
やはり防御は歩兵(擲弾兵?)でできるだけ強化しておくのがベスト。東部戦線の初期では工兵と50:50ぐらいにしていたけど、防御力重視で、工兵は減らしました。また、敵の歩兵部隊にはたまに戦車キラーみたいな強化されたのが混じっている(と思う)ので、やたら強い部隊がいたら下手に手を出さずにキルゾーンをつかって、しらみつぶしをします。
なお、少し期待した、「急造の列車砲的なもの(アンツィオ・エクスプレス)」は登場しませんでした。
ノルマンディー(カーン防衛戦)
つぎは有名なノルマンディー戦です。といっても(よくあるような)上陸部隊への迎撃みたいな行動はありません。すでに橋頭保は確保されていて、内陸の重要拠点カレーへの進行をどう防ぐかみたいなマップになります。
カーンは交通の要所であることから、「転車台」と呼ばれていて、戦略上重要な拠点です。ゲーム上ではウラヌス戦の時のような籠城戦のスタイルをとるマップになります。
どうしても西部戦線のほうがユルいイメージがあるのだけど、そんなことはありません。敵の歩兵の肉薄攻撃はやたら強力で、こんな突撃スタイルをとっていたのかなと思わされます。とくにこのマップは後攻スタート、しかも自軍陣地がすでに敵野砲の射程に入っているという二重苦があります。初戦ではどれだけ確実に敵の航空部隊を抑え込めるかがカギですが、自軍の対空砲が敵野砲の射程に入ってしまうと、非常に問題があります。
コブラ作戦
フランス大西洋岸地方での連合軍のコブラ作戦に対応するマップです。史実では連合軍は苦戦しますが、それを反映して、ゲームでもやや難易度は低くなっていました。サン・ローに強力な陣地が構築されているので、そこの突破に手間取ります。それぐらいでしょうか。
ただし、この後にもアルデンヌをはじめとして激戦が目白押しのはず。エース部隊を喪失するわけにはいかないので、安全を優先してじっくり進めます。このころになると敵の歩兵との駆け引きもわかってきたので(どういうときに攻めてくる、せめてこないの距離感)、打つ、守るのタイミングの主導権を意識しながら展開できました。
Panzer Corps 2攻略、その後のその後
前回からの続き、Panzer Corps 2攻略日記です。まずはスターリングラード戦後の史実をたどりハリコフ戦、そしてクルスク戦へ。
ハリコフ 43
史実ではウラヌス戦の余勢をもってソ連軍がハリコフ奪還に動く。ここで知将マンシュタインは、ハリコフ死守にこだわるヒトラーの命令に背いて、いったん戦術的に退避します。その後、敵の進行ルートを読み切ったところで、背後から攻撃を仕掛けて大勝利をあげます。この戦いでの一連の機動防衛を、マンシュタインの「バックハンドブロー」と言います。
さてゲームでは、ハリコフ近辺に策源地を置いて敵を各個撃破していくパターンとなります。前マップのウラヌス戦がこれまで最高難度だった(いまアルデンヌまで来てます)と思いますが、それと比べれば見どころのないまま終了しました。
このゲームはMBTを機動的に使うと、どうしても集中砲火を受けて損失してしまうので、大胆に動かせない仕様になっていると思う。もちろん包囲網が成立するとガゼン有利になるのだけど、デメリットのほうが多いかな。その関係でいうと、いわゆるロンメル的な機動戦は少々難しそう。今回アフリカ戦はやってないけど。
クルスク
史実では、ハリコフ戦の成功により、(1) クルスク周辺にソ連軍の広大な突出部が形成され、(2) ドイツ軍にとって戦略的な攻勢が行える最後のチャンスが来たとされています。ドイツ側にとっては広大な包囲作戦となりますが、ソ連側には筒抜けで、しかも新型パンターの準備など手間取っているあいだに万全の準備を固められてしまいます。
ドイツ側は、包囲網を形成する上翼担当の部隊と下翼担当の部隊に分かれます。前作DLCでは、上か下かを選択することができたと思います。本作では、1枚の大マップにて、上下両翼をまとめて担当するような形でした。ただし自軍を直接配置するのは南方軍集団、つまり下翼部分です。上翼部分は友軍が配置されています。
前作DLCでは、ひたすらPAKをつぶしながらじわじわ前進したような記憶があります。マップを見たところ、PAKが何重にも構築されているのは西側がメインで、南北からクルスクを目指す本作マップではまさしく平原での戦車戦がメインとなります。PAKつぶしは必要ないかな?
1枚の大マップで、南北両方を見えるようにしたことから、史実の推移が感じられるような面白いマップだと思いました。
北側(中央軍集団の担当)は、南下を試みたいとこですが、すぐ後ろにブリャンスク方面軍が迫っており、いかにも背後を突かれそうなので気になって前進できません。このあとクルスクまで行って撃ち合うのだから、ここで損失は出せません。防戦に徹するが、それも危ういぐらいの状況で推移します。
南側で(南方軍集団の担当)は多少進みやすそうな雰囲気はあるけど、正面に見えるあ敵の数の多さに、しばし様子見です。消耗戦にならないように注意しながらじわじわと動いていると、側面からヴォロネジ方面軍が突っ込んできました。これに対応するため部隊を割いて、正面の進行はストップ。史実でいえばケンプフ軍支隊が西側に動いたタイミングみたいで、面白いです。
北も南もほとんど前進できないまま、それぞれ背後に集中します。圧はかけますが前には出ません。それぞれ落ち着いた段階で攻勢を開始。南ではやはりプロホロフカ近辺で敵の大勢力とぶつかりました。これも史実と同じようなシナリオになっていていますね。ゲームデザインでしょうね。
戦術的には攻撃は航空機にできるだけ担当させて、地上は防戦に徹します。勝てるときでなければ絶対に打って出ません。そのせいか、ターン数はかなりかかりましたが、消耗戦に陥ることなく、このマップもクリアとなりました。(これまで自部隊のユニットの損失は出していません。)
前作DLCだと、このあたりで経験値のたまったティーガーが無双するシーンもあったと思うけど、本作では壁がメインの仕事で、ほとんどといっていいほど活躍させていません。代わりに野砲、スツーカ、歩兵、8.8 cm FlaKあたりはいい感じになってきました。
Panzer Corps 2、その後の状況
前回からの続き、Panzer Corps 2日記です。その後は順調で、41年モスクワまではとくに苦労しませんでした。モスクワ戦は結構難しかったです。
モスクワ戦
意外とすんなりとモスクワ市街の中心部まで迫り、中心部に流れる運河まで到達。だが、対岸にいる敵が強力すぎて一歩も前に進めない状況となった。それどころかひっきりなしに攻め込んでくるので野砲陣地を組んで防戦に精いっぱい。1か所でも穴が開いたら一気に戦況をひっくり返されそうな状況となった。ここで進行が完全にストップ。(史実だとモスクワ目前の郊外の段階で進行がストップしている。)
前にも後ろにも進めず、ブレークポイント(攻勢限界)だなーと思いながら数ターンが過ぎる。じり貧を恐れ、なにかきっかけをつかもうとモスクワ市の北部と南部の両翼にすこしだけ部隊を送って、自軍のラインに隙間をあけたのが悪手となりました。ほんの一瞬のスキをつかれて、敵が怒涛の進行をかけてきた。
その後の数ターンはぎりぎりの攻防が続きました。
野砲陣地を直接狙えるところまで敵が迫り、対空砲まで繰り出して壁を構築。もう1歩で陣地を荒らされる寸前で、そうなればすぐさま戦闘正面もあっというまに崩壊しただろう。あるいは、陣地内に入ってこなくても、落ち着いて両翼から挟み込まれることになれば、最終的には包囲されていただろう。
繰り出していた別動隊を徐々に戻して後方部、側面、それから本陣をガード。回復した火力で敵の正面に穴をあけて突破した。あとは全域で戦線を押し上げて無事勝利となりました。これまでの戦い(現在43年初頭)で一番難しかった。(少々「ターン戻し」もしました。)
その後、42年のセバストポリでは、史実通りグスタフを動かしながら、敵の要塞砲をつぶしていけばOKでした。
スターリングラード戦
で、例のスターリングラードは、前作で苦労した経験のおかげか、手間はかかったけどピンチらしいピンチもなくクリアできました。前作 (DLC) だと、ボルガ川を越えてくる敵への対応がもっときつかった気がする。今作では私自身が歩兵をできるだけ育てているので、そのせいもあるかもしれません。また、MBTはほとんどスターリングラード戦に投入していません。
ただし、策源地や主戦闘地域の見極めは大事だと思いました。適当な場所にユニットを置いたり、散漫に進むと袋のネズミとなりそうです。スタート時点ではマップのあちこちに敵がいるので、策源地を見定めて、どこに部隊を置くのかを決めるのに勇気がいります。私は敵の薄そうな市街地域の端を狙わず、あえて敵のど真ん中(市街の中央部分からも近い場所にある)丘をまずは取りました。敵の野砲の射程に入っているのですが火力差があるので慎重に撃ち合って確保。そのあとはボルガ川の河岸まで出てから、上下に部隊を分けて全域を制圧。
そのあと対岸も攻め落としたかったのだけど、途中でマップが終了となりました。空挺兵をかなりおろしていたので、時間の問題で完全攻略できたと思う。
ウラヌス作戦・冬の嵐作戦
スターリングラード勝利後、さらに東方に向かってコーカサスを攻めるか、それとも西方に退くかの選択ができました。私は史実ルートを選ぶため西方を選択。すなわち撤退戦です。
ドイツ側でいうと冬の嵐作戦と呼ばれているコースになります。これは鬼マップでした。史実でいうとスターリングラードに閉じ込められたパウルスの軍団と、ウラヌス作戦で包囲を築くソ連軍があり、外側から包囲環をあけようとするマンシュタインの軍団とパウルスが上手く呼応できるかどうかがカギとなります。(史実ではパウルスは呼応しなかった。)
ゲームではスターリングラード近辺で展開する状態でスタートします。友軍が南方から助けに来ようとしているのが見えますが、どうみても兵力が足りてません。陽動ぐらいしか、助けは期待できなそうです。
スタート前に自軍の方針を考えるわけですが、現実的な選択肢としては、西にカラチ市まで何とか逃げて友軍と出会ってしのぐか、現在の地域にとどまって敵を迎え撃つかなさそうです。熟考の末、現地域で密な陣地を築いて敵を迎え撃つことにした。制空権も取れそう、prestigeも充分あるので、下手に背中を見せるよりは敵と殴り合うほうが良いであろうと。
具体的には、籠城戦モードなので、できるだけ損害が出ないように防衛戦をキープ。火砲はランダムに撃たず敵を狙い撃ちして集中砲火。航空部隊は優先順位をつけてバリューの高いアセットを狙う。
徐々に敵が削れていき、最終的に友軍との邂逅に成功して、このマップも勝利となりました。
Panzer Corps 2やってます。
前作Panzer Corps以来、7年ぶりぐらいだと思う。前作はiPad版で、子供を抱っこ紐に入れて寝かしつけるあいだとかにやっていたのでした。
去年(2020年)に、さんざん開発スケジュールが遅れたものの、無事Panzer Corps 2がリリースされました。基本的に前作を踏襲したターン制SLGで、一部興味深いルール変更があります。PCにはたいしたスペックはいらないが、GPUが必要となった。
あまりにも開発期間が長かったことと、ほかにやることがいくらでもあるので、ほぼ私の脳裏から消えていた。ところがコロナの影響でWFHとなり、作業環境強化のためマシンをMacBook Pro 16に新調し、そしたらMBPにGPUが搭載されていた...、という流れで、せっかくGPUついているのだからと、ついでにPC2も入れてみようかと思った次第。
バルバロッサ作戦が開始されて、41年のキエフ攻略が始まったところ。史実通りの包囲環を作る前段階のタイミングでスタートとなるようだ。マップをざっと見ると市街はそうとう密に守られていて、突入する気を失わせさせられる。なるほど、後方部のエリアをとっていったん包囲したくなるわけだ。
このように、史実のマンシュタイン、グーデリアン、ホトたちの歴史を知っていると非常に奥深いものを感じる。前作も史実上の戦術の「ミソ」が出ていたが、今作はさらに色濃く、コクが出ているかも。この後のマップでも、どの程度、史実を体験させてくれるモノがあるか楽しみになってきた。
前作について
前作 (Panzer Corps iPad) は偶然に知ってやり始めました。私はそれほどゲームをするタイプではないですが、まあ珍しくはまりました。まずは通常版をやり始めたのですが、進んでいくうちにだんだん「ものたりなさ」が強くなってきて、セバストポリ戦あたりでマップが省略されすぎていることに我慢の限界が。コーカサスからセバストポリまで1枚マップなんてありえない!まんまとゲーム会社の思惑に乗って、DLCをポチしました。
どれぐらいのプレイレベルかというと、東部戦線の44年夏ぐらいまではやりました。難易度は通常ですが、多くのマップでは大勝利をとれていたと思う。特にシビれた(覚えている)のは、41年冬の防衛(撤退)戦、スターリングラードとその前後戦、クルスクあたり。このあたりは辛勝(もしかしたら大勝利)したはずだけど、クルスク以後は急に勝てなくなってあきらめたのです。(史実からしても第3次ハリコフとクルスク以後は、基本的につらい戦いだから当然ですが。)
しかしスターリングラードの市街戦(なかなかの難度でした)は勝ったし、クルスク戦などのその後も戦いでも、それなりに主力部隊を温存したまま勝ったのに、なぜ44年ごろから急に勝てなくなったのか。いま思い出して分析すると、当時はわかっていなくて、戦術が浅い部分が意外と多くあったと思う。
まず第1に、レジリエンスのないプレイしていたと思う。単純に強い軍団を作っていこう的な発想で、自然と主力戦車と火力支援の自走砲と航空支援と護衛用の戦闘機で部隊が固まってくる。後半は歩兵の連続の肉薄攻撃を受けて、戦車戦では強いはずの機甲師団もポロポロやられるようになった。そこで、重装甲で少数でも敵を抑えられるフェルディナントなどに置き換えて、余裕ができたユニット・スロットでロケット砲も増やしたりとかするが、逆に言うとその程度の話でしかなく、敵の歩兵や地上攻撃機の波状攻撃には対応できないのである。攻撃力(火力)と防御力(装甲)の2つのパラメータしか見ていなくて、結果的には6号戦車とか自走砲には経験値がたまった強い部隊がごろごろしているんだけど、それ以外には多様性のない、状況の変化に弱い軍団になったのだ。
前作の経験から考えると、対空砲と歩兵の各種兵科はきっちりと育てておくべきと思えます。前作では敵航空部隊に対抗するには、こちらも戦闘機をあげるしかなくなります。こちらがFw190でも、性能面で拮抗し始める44年頃には、空戦も消耗戦となり、次第に制空権が取れなくなった。これまた史実をなぞっているかのよう。クルスクごろまでは制空権は確保していたが、44年からはIL2が飛び回る状況となったのだ。
ということで
いま目前にしている41年のキエフでは、すでに市街地に歩兵が鉄壁の防御を構えている。前作では、スターリングラードで苦しめられた光景の縮小版である。前作の私は歩兵部隊の活用という概念がなく、野砲で黙らせてから4号戦車を突入させるパターンばかりだったのですが、今作ではきちんと(?)3号突撃砲と歩兵の組み合わせで攻略していくことにしようと思う。
いまPC2の40年の単品のDLCが出ているが、「まとめ版」が出たらダウンロードしてしまいそうな予感。