2021-09-08

M1 Mac Air

これまでで14台目のMac、MacBook Air (M1) をポチしました。

この記念に、これまでのMac歴を書いてみようと思います。

そろそろ記憶も薄れてきました。昔のMac歴を思い出せるのは、そろそろ限界そうなので、自分のため?にも記憶を残しておこうと思います。


1.  LC630

これが最初のマシンで、OSは漢字Talk 7.0でした。一緒に買ったのは「Mac VJE-Delta」「RAMダブラー」あたり。一番やりたかったことは、多言語でのレポート作成(「Nisus Writer」)と、音楽関係ソフト(「MOTU Performer」)を使うためでした。

音楽と言えば、シンセサイザー(Korg 01W)と、Yamahaの8 track MTRがつながっていました。この時期はたしか「Apple MIDI Manager」というアプリで、Apple Talkという通信ケーブルを使ってMIDIをやり取りしていましたが、当時の私にはほとんど理解できていなかったと思います。(ちなみに、現在のOS XのCore MIDIのインターフェースを見てみると、当時の面影を少し感じます。)

パソコンってのは本来、道具であるはずなんですが、いろんなことをするのが楽しくて、何か新しいことを「試すこと」自体がパソコンの使用目的みたいになっていったのでした。そう、誰にとっても10代後半から20代にかけて、新しいことを浴びながら自分の世界観が広がっている「ワクワク感」の時期があると思います。自分のいた時代に、社会で何が変革していたかによって、その世代の人が「ワクワク」することの内容が違うと思いますが、私の場合はインターネット直前から黎明期ぐらいの時代の社会の移り変わりには、リアルタイムで新しいことを実感するワクワク感が強かったです。

そうです。私の世代は、アナログやインターネット以前の時代をギリギリちゃんと知っている世代なんです。上の世代はアナログの世界観でやっているのを見ていたし、その雰囲気はわかる。ネットですべて変わっていった時期も知っています。デジタルネイティブ世代ほどはデジタル・オンリーではないが、そもそも80年代のテープレコーダーを使ったPCのスタート地点から体験しているし、上の世代ほどデジタル・ディバイドされていません。アナログを体感している最後の世代で、デジタルのスタート地点に世代だとすると、これって人類史的に貴重かもな、と最近思い始めています。


2.    PowerBook 540c

ほどなくしてノートパソコンへのあこがれが高まり、乗り換えました。当時はTFT液晶の価格は高く、ぜいたくな買い物だったと思います。ハードウェアのデザインはユニークで素晴らしく、現在だとこのような似非SF的なデザインは絶対にありえません。

良いものを買ったのだからこれで落ち着いて大学生活をきちんとやるかと思いきや、やっぱりパソコンで遊んでばかりいて本末転倒なのでした。学業もそれなりにちゃんとやってましたけど。

インターネットに接続したのもこの時期。OSには標準機能として取り入れられていなかったので、TCP/IPスタック、電話回線用 (PPP) のコンフィグなどをいくつか入れていたような気がしますが思い出せません。ネットでは、ヨーロッパの美術館などがかなり大規模な画像データを公開してくれていたりして、当時は好きだったので、かなり大量に見た気がします(自分で画集を買うことなんてできない)。

ネットでAppleのページを見るようになると、やれOSのバグフィックスだ、バージョンアップだという情報に左右されるようになり、悲しいかな、漢字Talk 7.5.1が7.5.2になったぞ!とかそういう非生産的(後で考えれば)なことに一喜一憂するようになったのでした。

最終的にはOSはUS Ensligh版をベースにして、Language Kitを入れるスタイルでした。日本語キットだけでなく、キリル言語、中国語、ヒンディー語などすべてあったたような気がします。この時の経験は、大学で多言語編集のバイトをしているときに役立ちました。


3.    PowerBook 5300c (Black Bird)

AppleがCopland/Open Doc構想を出して、PowerPCへのアップグレードが必須と語られるようになりました。そんなわけで私もしぶしぶ(喜んで)PowerPCを搭載したマシンへと切り替えました。このマシンも素晴らしいデザインで、シックでもインダストリアルでも、どんなデザインの部屋にでも置いているだけでもサマになります。

また、ドッキングステーションがついていて、様々な機能を持ったパーツと取り換えることが可能でした。私は、MOドライブ、HDドライブの2つのパーツを持っていました。

このときは、Apple陣営のOpen Docコンセプトと、MS陣営のOLEコンセプトのどっちが素晴らしいのかという論争がありました。Open Docを触ったときは非常に新鮮で、驚きました。結局Open Docの正史としては実現しなかったことになっているのですが、いまの感覚でいうと、Web Page上に小さなアプレットを簡単に乗せて、ユーザーは自分の好きなようにそれらを組み合わせてページを作ることができるような世界、というようなイメージに近いでしょうか。今の感覚でいえばそれほどすごくはないですね。OLEのほうは、もっと普通に実現しています。

Open Docから生み出されたスタンドアロン・アプリとして、Appleのウェブブラウザの「Cyber Dog」というのがあったのですが、これは当時の水準でいえばなかなか優秀でした。世間では「Post Pet」が流行っていた時期だと記憶しますが、私は「Cyber Dog」を1年ぐらいは使っていたと思います。


4.    Macintosh Classic

正確な時期は忘れましたが、友人からもらって、一時期、部屋に飾っていました。OS6.0.7だったと思います。


5.    Macintosh Color Classic II

正確な時期は忘れましたが、友人からもらって、一時期、部屋に飾っていました。カワイさでいえば、Macのなかでナンバーワンで、Macと言えばこれというアイコン、シンボル的なマシンだったと思います。(Mac Classicより、カラクラのほうがカワイイ。)

このあたりの時期のガジェット方面では、AppleのNewton Messagepad、Palm Pilot、ザウルス、IBM PC110、Win CEあたりには一通り手を出しています。この分野全体でみんなが(iPhoneが登場するまで)とにかく「正解」を探しているような時代でした。客観的に言えば、HP LXシリーズやPsionを持っている人が一番幸せになったと思います。私は、欲しいものに出会えない旅に飽きてしまい、これ以降、紙の手帳派になりました。

ちょっと中身の話ですが、Newton OSの斬新なユーザーインタフェースと、それを生み出している開発環境が面白いと思いました。Newton OSの開発環境は、たしかObject Pascalだったと思います。そして、それを何千倍ものスケールにして成功させたのが、iPhone + Objective Cだったのではないでしょうか。

さらに言うと、コンピュータの動作、OSってなに?アプリってなに?みたいな部分で、本当に面白いと思ったのはSmalltalkです。たぶんこの時期だったと思うのですが、商用Smalltalk-80のフリー版や、Squeakといったものを触っていたのでした。Smalltalkを触ったときのびっくり感は忘れられません。はじめてUnixのネットワークシステムを触らせてもらったときの感動は「なるほどね!これは確かにしっかりしたシステムだ!これで原理的に世界とつながるな!」だったんですが、Smalltalkに出会ったときの感動は「なにこれ!?すごいことはわかるけど、マジックみたい。ちょっと分からないけど、とにかく触って、少しでもわかってみたい」でした。結果、Adele GoldbergのSmalltalk-80も読んでいます。

私にはいまだにあの時の感動が残っていて、日常で仕事のことを考えているときもオブジェクト指向的に分析する癖があります。もっと飛躍して言えば、例えば憲法や法律なんかは自然言語ではなく、Smalltalkのようなオブジェクト指向言語で書いたらいいんじゃないかとすら想像してしまいます。AIで裁判官を作るよりもいいんじゃないかしら? 新しい判例なんかもすべてオブジェクト化して入れていくわけですね。親権と債権とかは共通部分はクラス・オブジェクトにできそうですし、各種の法令内で派生させる場合は、インヘリタンスさせてるとよさそうです、等々。人間には読む、解釈する、書くというアナログな行為が残りますが、それって大事なことで、ブラックボックスのAIよりもよほど一貫性、透明性があります。


6.    Akia Mac clone

Akiaという国内メーカーのクローンマシンです。高品質の液晶がついて割とリーズナブルで、一時期使っていました。たぶんこの時期ですが、Virtual PCか何かのエミュレート環境にNext Step/Open Stepを入れようとして、悩んだり遊んだりしていました。なんでそんなことを思ったのか、まったく思い出せません。たぶん友達と盛り上がったのでしょう。

さて、Appleの完全オブジェクト指向型アプリケーション実行環境であるOpen Doc構想が失敗なのは明らかとなり、大学のゼミなんかでもWin NT/Win 95のhigh-low mixがいいんじゃない?的な風潮になっていって、ちょっと寂しい思いもありました。

余談ですが、大学であまっているPPC 601 (80MHzクラス)のマシンにBe OSを入れたら、あまりのスピード感に、度肝を抜かれました。当時の日本のメーカーには、Be OSを買って勝負をかけるというアイデアはなかったのでしょうか。

この時期は未来の予測が難しい時期でした。Web 2.0も、SNSも、スマホもYouTubeもなかった時代です。ひとまずアプリケーションがネットワーク対応型になる(クラサバ型とかいろんなタイプがあります)的な話で「Javaどうするよ」といった議論がなされていた記憶があります。よく覚えているのは、Wired誌の2つの特集記事で、「To be, or not to be」というBe OSを扱った号と、「What's NEXT?」というNext Stepを扱った記事で、それぞれ刺激的な内容でした。うろ覚えですが、後者ではAppleに戻る前の一番複雑な時期のジョブスが、Enterprise Object Modeling、WebObjects、Agent oriented modelといったタームと語っていました。私は学部生の身分だったので、本業と関係のないことをあれこれ読んでいる時間はありましたね。


7.    SE30

正確な時期は忘れましたが、友人からもらって、一時期、部屋に飾っていました。LANのアダプターをパーツ屋(たぶん「秋葉館」)で買って増設。NetBSDのインストールを試みた思い出があります。BSD Unixを入れて何をしたか(したかったのか)は、思い出せません。Unixなんて大学にいくらでもあったから、たぶん目的なんてなかったでしょうね。

古い世代Macのマニア的には、このSE30と、クアドラ700が、Macのハードウェアデザインの最高峰だと位置づけられていると思います(たぶん)。個人的にはMac Cubeが一番好きですが!


8.    PowerBook 2400 (Comet)

いわゆるサブノートサイズで、十分な処理速度がありました。大学でレポートや論文を書くことが多くなったこの時期、まさしくベストフィットなマシンでした。原稿のメモ書きみたいなことが半分、きちんとした推敲が半分ぐらいだとしたら、それぞれベストな環境は別となるはずなんですが、そういうメモ書きも、仕上げも、効率的にできる良いマシンでした。図書館などでポチポチできる、ゼミ室のレーザーライターを使いたければ、さっと持って行って使える、みたいな。


9.    MacBook Pro (Pismo)

値段でいえば、その後も含めて、最高金額だったと思います。あの時期のレジン系の筐体で高級感を出すデザインとしては、ThinkPadの伝統的なデザインと双璧をなす、ノートパソコンの到達点ではないでしょうか。時期的には修論から博論にかけて、遊びでいえばCuBASEがノートでガッツリ動くという感じのマシンでした。

CuBASEは良いソフトで大好きでした。ただ、ガッツリ動くと言っても、オーディオプラグインでシンセサイザーを数個立ち上げるとすぐにCPUメーターがマックスするになるので、余裕はありません。また、この時期はなぜかFM音源が好きで、モジュレーターとアルゴリズムを組み合わせて、いろいろとサウンドを創る深みに触れるのが楽しかったです。

ハードウェア型のシンセサイザーとしてはチョット奮発してYamaha Motifや、MU2000があり、そこにFM音源と、Virtual Accousitic音源のカードを指していました。

MAXについても触れておきましょう。Opcode MAXというアルゴリズム作曲ソフトは、結構初期バージョンから知っていました。新宿の初台にあるNTTのセンターにある「Intercommunication」のスタジオにあったMAXのセミナーをうけて、そこで刺激を受けました。(これもかなり薄い記憶ですが、私の隣に座っていたのが、あとで考えれば、よくテレビに出ているジャーナリストのモーリー・ロバートソンさんだった思います。ちがったらすいません。)

このMAXに、映像系のアルゴリズムを実装したmspというモジュールがついて、一般的に認知度が上がったのは多分この時期だったと思います。私にとっては完全に趣味の世界だったのですが、MAXって学業の合間にちょっと創造的なことをして息抜くにはちょうどよく、大学院の授業が忙しくなってきた合間をぬって、ちょっとした作品を作り、どこかの工業大学が主催したセミナーで発表したこともあります。やったことだけは覚えていて、マイケル・ナイマン的なミニマム・ミュージックの旋律が生成されるようにプリセットします。それに時間軸で変化をかけたものを重ね合わせていき、スティーブ・ライヒばりのモアレを出します。それが音楽部分で、きちんとしたメロディー感のあるものにしています。その上にサウンド系のイベントと連動して、画像系のオブジェクトがスイッチされるようにして、映像も自動生成されるようにしたものです。(趣味レベルで一晩で作れる簡単なものですよ。)

あまり話題になりませんが、MAXのもっていたパッチ・プログラミングのスタイルは、その後のあらゆるプログラミング教育ソフトに影響を与えているんじゃないでしょうか?

そういえば、そのMAXの元となるシステムを開発したフランス・パリのIRCAMを訪れたのは、下のMacBook whiteの時代でしたかね。そういうつながりも自分の中にあります。

他方で、OS X Developer Releaseをインストールしました。これには思わずうなりました。良いとも悪いとも言えない微妙さに。私はソラリスの上に乗せたOpen Stepのデモ機を触ったことがあって、そのあまりの微妙さを知っていたので、BSDの上に同じことをやったMac OS X "Rhapsody" は、まあそれと比べたら全然いいけどね、ぐらいの気持ちでした。


10.    MacBook plastic white

Appleがハードウェアに固有名を付けなくなってきた時期で、もう具体的なマシン名はわかりません。このマシンは博論の作業環境でした。ドラフトは標準のエディタでrtf形式、図形はイラレで描いてベジエ化した素材、仕上げはMellelというイスラエル製のワードプロセッサーを選びました。最初にMacを買ったときに選んだ「思い出のNisus Writer」に最も使い勝手の近いソフトが、このMellelでした。非常に使いやすかったです。

ちなみに、私は大学時代に何度もLaTexに行く誘惑にかられました。何でも教えてくれるLaTexウイザードみたいな人もいましたが、結局行かずじまいでした。いまだったらMS Office一択ですけどね...。

Mac OS 9が、Mac OS Xに完全移行したのがこの時期です。MellelはOS X対応という点でも、当時の私にはベストな選択肢でした。


11.    MacBook plastic white

このマシンから、Intel Core2Duoとなりました。よく覚えていませんが、子供(赤ちゃん時代)に電源ケーブルをナメナメされて、調子が悪くなったとか、そういう理由で次のマシンへと移りました。

Mac OSは、Lionぐらいから完全に安定し、完璧になりすぎたせいか、逆に気になることすらなくなりました。もう動けばいいやぐらいの感じでしょうか。ライフスタイルそのものにも、アナログを如何に適切に取り入れるかに注意するようになりました。


12.    MacBook Pro (13) 2012

2000年代の中ごろからAppleは急激に総合的な製品開発力が高まっていきました。なんというか、iMacみたいな企画力というよりも、実際のパーツの作りこみだとか、ソフトウェアとの融合という部分です。別の角度から言えば、尖った製品力があるだけではなく、全方位的にものづくりメーカーとしてみてもずば抜けているという感じです。要は日本車みたいな強さのスタイルですね。

とりわけ、このマシンがでたのはジョブスの神通力が強く出ていた時期ではないでしょうか。このころのApple製品は隅々まで品質が高く、品質を考えると価格も安いと思います。スタバを見ればMac Airだらけという時代でした。

私自身は逆にApple製品への興味が全くとは言わないがどんどんなくなっていき、どうでもよくなっています。それでも1台選ぶとしたらMacですけどね。

このマシン、いまでは、CPU的には最新アプリを動かせなくなったけど、それでもセカンドマシンとしては普通に使えます。


13.    MacBook Pro (16) 2019

現在のメインマシンです。Windows 10とのデュアルブート環境になっています。98%ぐらいはWindowsが走っているという、Macはどこ行った状態です。


14 MacBook Air (M1)

さいきんMacを使うことが少ないので、ちゃんとMacを使うため、サブマシンにする予定です。

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