2026-05-30

COMET/Bootstrapで翻訳を評価する

 NMTやLLMによる翻訳性能の向上は著しい。

今年の日本翻訳連盟の総会では、基調講演として「AI翻訳、進歩したからこそ必要なこと」というテーマが取り上げられるらしい。

「AI翻訳は適切に利用されているのか」「その翻訳は原文の意味内容をどの程度正しく反映し、正確性を確保できているのか」といった観点から、翻訳者に求められる役割について検討するという内容のようだ。

その意図は理解できる。私自身も関心のあるテーマなので、基調講演には参加するつもりである。ただ、このテーマをどこまで掘り下げてくれるのかについては、やや懐疑的な見方も持っている。

さて、翻訳を専門としていないが、業務上ときどき翻訳に関わる人の認識としては、「翻訳者が不要になるかもしれない」というのが大きな見立てではないだろうか。

実際、自分でLLMに翻訳をさせてみると、ほとんど自動化されているかのような感覚を覚えても不思議ではない。LLMの翻訳は確かに素晴らしい。特に2026年のGPT-5.xやGemini 3 Proあたりになると、一般的なプロ翻訳者よりもうまいと思わせる場面が少なくない。*

(ただし、2025年までの段階で「LLMの翻訳は完璧だ」「人間など不要だ」と言っていた人については、自分に関係する限られたサンプルだけを見ていたか、あるいは機械翻訳ベンダーの営業トークを真に受けていたか、技術への期待が先行していた人たちだと私は考えている。そうした議論にも一定の意義はあるので、ここでは脇に置いておこう。LLMの翻訳が素晴らしいことは間違いない。おかしいのは「人間が不要になる」という結論のほうである。)

さておき、私が見ているさまざまなデータから言えることは、現段階で人間が不要になることを示す証拠は一切見当たらない、ということだ。これが率直な感想かつ客観的な評価である。

念のため、もう少し丁寧に書いておく。

個人翻訳者の立場では、異なる感想を持つ人もいるだろう。自分が時間をかけて仕上げた翻訳に匹敵するものが、クリック一つで生成されるのだから、「翻訳者が不要になるのではないか」と感じるのも自然である。

しかし、それは個人vs機械という対立軸で、翻訳スキルを単一のスカラーで評価した場合の話である。

一方で、翻訳を品質管理や運用の観点から見ると、まったく異なる風景が見えてくる。現時点では、人間を介在させずに、大規模な翻訳工程を回しながら明確な品質基準を満たせる仕組みは存在しない。

もちろん、個人がプロンプトを工夫して翻訳させれば、瞬間的に、手直しがほとんど不要なほど良い結果が得られることは珍しくない。問題は、SaaSやCMS/TMSと連携できる汎用性、スケールに耐える処理能力、実運用に耐える速度と安定性、さらにはドメインごとの品質の予測可能性やばらつきである。

 * * *

さて、このような状況では、用途ごとに異なるエンジンが開発され、使い分けられていくことになる。つまり、翻訳会社にとって重要になるのは、単一のエンジンではなく、複数エンジンを管理し、適切に評価・運用する能力である。

そのような中で、COMETは機械翻訳エンジンの性能を評価するうえで、最も信頼できる業界標準の一つとされている。ならば、COMETを使って複数エンジンの性能を効率よく分析・評価し、さらには予測することはできるだろうか。

こうした話題に興味を持つ人がどれほどいるのか正直分からないが、軽くPythonで試してみた。以下は、土曜日の朝の数時間でコーディングしただけの結果である。翻訳会社の人が読んだら参考になるかもしれないので、ご覧いただきたい。

 * * *

まずCOMETは、Transformerをベースとした評価モデルであり、それ自体が小規模なLLMの一種と考えてよい。

COMETのインストールはPythonから実行できる。

ただし、現在インストールする場合はPythonのバージョンに注意しよう。私がこれを書いている時点ではPython 3.13系が最新だが、COMETはPython 3.11系のほうが安定しているようだ。実際、私の環境でもPython 3.11に切り替えてから問題なくインストールできた。

まず、GPUのない一般的なPCでも実用的な速度で動作するかを確認してみた。

100セグメントの翻訳サンプルに対してCOMETを計測したところ、私のPC(RAM 32GB、GPUなし)で約1分だった。十分実用的な速度である。

ただし、COMETが出力する値は、あくまでそのサンプルに対する評価結果であり、統計学的には標本平均を一点で示したにすぎない。モデルの性能を議論するのであれば、信頼区間も示したい。

そこでブートストラップ法を用いる。例えば100サンプルから10,000個のブートストラップサンプルを生成し、そこから95%信頼区間を求める。ローカル環境へのCOMETインストールから始めて、対訳データを格納したExcelファイルの読み込み、ブートストラップ法の適用、各種出力の作成まで行った。

結果として、COMETスコアを、0.92~0.96のような幅をもった形で得られる。こういったデータを蓄積していけば、複数のエンジンの使い分けや、優越性・非劣性テストのようなことにも有効なはずだ。とくに、LLMはバージョンが上がると、それだけで挙動が変化し、翻訳品質自体が変わることもまれではない。

翻訳会社のMT担当者は、過去数年間、それを経験しているはずだ。そのたびにプロンプトの最適化などをする必要があり、それをしないと、品質が低下することすらある。この辺りも、翻訳のMT技術のフロントにいる人以外にはあまり知られていないかもしれない。

そこで、以前と同じプロンプトで翻訳を実行したまま、before afterで変化があるか・ないかをある程度自動的に計測できるツールがあれば、非常に便利だろう。

Pythonを知っているならば、これぐらいのコーディング自体は簡単にできると思う。

アテネ

 3月の話。


海外出張が2つあり(3つあったが1つ断った)、なかなか忙しい。

1つ目はバルセロナ。これは出発当日にイラン戦争が始まったため、キャンセル。

もし、1日早くフライトしていたら危なかった。ドーハで10日ぐらいスタックしていた可能性があった。


2つ目はアテネ。こちらはトルコ上空を飛ぶルートのため、欠航しませんでした。


でも、アテネについたのは良いものの、翌日にはタクシーが全面スト。

そうだよね、ヨーロッパはこれがあるよね...。


目的地はアテネからかなり離れた場所にあり、タクシーがないとつらい...。

調べたら、ローカルの路線バスを乗り継ぎ乗り継ぎ、50停留所ぐらい先にあるようだ。

ということで、意を決してゴー!




写真のように、誰もいないエーゲ海沿岸

停留書を探してスーツケース転がして歩く私。


3月の日本海のような海風。

岩稜、荒野、そして看板はギリシア語のみ。


不安しかないが、逆にいうと不安しかない。

信じていくのみ!


ということでなんやかんや目的地に到着しました。




ここが私の泊まるところ。一棟借り上げです。

胸キュンです。




一人ぼっちの住まいは最高なのだけど、ただ、海の真横なんよね。

窓の横がそのままビーチになっている。

日本人としては、海の真横っていうのは、ちょっと怖い。

私だけでしょうか?




あとは会社の同僚たちとパーティー。

写真は、アテネ市街地のビルのルーフトップバーより

アクロポリスの夜景。

ここで民主主義が始まったんよね。昔の人はえらいなあ。




今回は初めてのギリシアで、実はギリシア語の音にも少し興味があった。

文字の読みは(キリル語の知識を使えば読めるが)

どのような音で聞こえるのか、アラビア語っぽいのかなど、全く想像できなかった


実際は意外と巻き舌系のサウンドで、しかもロシア語っぽい巻き舌ではなく、

むしろ南欧っぽい印象を受けた。


あと英語で呼びかけるときは、my friendなのね。

これは、国とか地域によって結構違います。broとか、mateとか...。


しかし、いい年して、いまだにこんな学生旅行みたいなことしてる。

冒険旅行をしたいわけでは決してないのだが。

2025-08-20

2025年の夏の思い出


 

例年と同じく、夏休みを取って仕事から離れる時間を作りました。いつもならば家族旅行にでも行くところですが、都合のため今年はほとんど家にいることになりました。(乗鞍に行く予定があったけれど、天候のためキャンセル。)

そろそろ夏休みも終わりなので、久しぶりに近況をまとめておこう。


* * *

クラシックギター近況

BWV 1003 フーガ

バッハのソナタとパルティータ(バイオリン)、スイート(チェロ)、リュート曲あたりの名曲にはクラシックギターに向けたアレンジメントがいくつも存在し、日本の出版社からも手に入る。

私もいくつかの版を入手して、気に入った曲を選んで、自分で弾いてみたりするわけだが、どうしても、BWV 1003(とくにアンダンテとフーガ)については譲れないこだわりがあった。タチアナ・リツコバの2010年の録音である。この演奏があまりに素晴らしすぎるので、私は以前から、この演奏のもとになっている版について調べていたのだ。

実は、手に入る限りの版ではどうしてもタチアナの演奏が再現できない。バルエコ版は運指面でも割と面白く、いわゆる「通常アレンジ」では最高水準だと思うが、それでもアレンジメント自体がタチアナの演奏とは違った。

そんななかでFrank Koonce & Heather DeRomeに出会ったのである。ある日、YoutubeでHeatherが公開しているトレーニング動画を見つけ、それを見たら自分が求めている版のイメージに近いことが分かった。しかもカナダからShippingも対応してくれる! ということで早速注文した。

Andrew Yorkと同じく、こちらもHeather DeRomeを中心とする個人出版のような形式だった。実は輸送に大幅な遅れがあり(3か月!)、その間何回かHeatherとやり取りをしたのだけど、とても気さくで誠実に対応してくれていい人でした!お世話になりました~。

早速届いた譜面をチェック。たしかにタチアナの演奏とはわずかな違いのようである。私も欲しかったものを入手できて大満足である。

さて、肝心の「通常版」との違いである。この曲は通常はソロ・ヴァイオリン版(まさしくBWV 1003)をベースにしている。それに対し、DeRome版はクラヴィーア転写によるBWV 964を並行参照し、ギターで実現しやすいように独自の補筆・配分を行ったクリティカル・アレンジメントのようだ。(私はその筋の専門家ではなく、原曲+公知のクラヴィーア稿を学術的に分析したわけではない。正確な情報かわからないが、ざっと調べたところはそのような感じだ。)

何が本質的に違うのか? フーガらしい主題音列をきっちりと保持して繰り返し使っていることろじゃないかと思う。通常版のほうがちょっとメロディックに響くのだが、私はDeRome版のほうが好みだ。ただし主題を淡々とこなしているだけだと機械的になる恐れもあり、その辺りは(話は元に戻るが)タチアナの演奏のうまい部分だなぁと思う。

そしてこの版を編集して、日本にまで発送してくれているヘザーに感謝である。ハマっている人は全世界に50人ぐらいしかいないかもしれませんが、ちゃんと響いてますよ!


Sunburst、Moontan

以前の日記でこのAndrew Yorkによる2曲の練習をスタートしたと書いた。素晴らしい曲で、練習するモチベーションも尽きない。

正確に演奏することが極めて難しいことが有名な曲であるが、ようやく少しポイントが分かってきた気がする。どちらもテクニカルに譜面通りに弾くこと自体がとても難しいのだが、実はリズムの要素も大きい。譜面通りにジャストに弾くだけではこの曲たちのカラーが出てこず、軽いノリやタメを入れるポイント、つまりグルーブ感があると思われる。

2曲ともそのグルーブ感のテイストが異なっていて、曲想に影響を与えているように思う。弾きながら自分なりの工夫を加えていって、なんとなく思っていた方向に近づけるような作業である。

Sunburstであれば、スラーやトリルの場所はややせわしない感じで、いわゆる縦ノリで、わずかに前に突っ込んでニュアンスを出す方向で行くのがいい気がする。Moontanの場合は、スキップを踏むような感じで、少しタメ気味でリフ感をだす。タッピングとスラーの場所は逆にジャストにしたいのだが、ここはそもそも正確に弾くだけで、すでに難題。

ところでライトハンドで大胆にブレークが入るのが3か所あるが、そのうちの2回目、3回目は譜面だと8拍だが、録音を聞くと10に聴こえる...。ちなみにMoontanの演奏では猪井亜美が神級またはお化け級である。私も、彼女の演奏っぽく10拍で弾いてみる今日この頃なのだが、どうやったら綺麗に弾けるんだこれ...。


The Koln Concert IIc

バルエコ編の譜面を入手して、練習を開始。レファレンスとして村治佳織を参考にしているが、あまり「聴かず」に、譜面だけでイメージして弾けるようになるかやっている。クラギでルバート気味のジャズ曲にトライするのは初だけど、やはり面白い。

インプロビゼーションとか、場合によってはラフっぽさを出したいけれど、逆にダラダラした惰性のような動きにならないようにするのはどうしたらよいのかって考えている。


* * *

「統計学の数理(桜井)」の2周目を読了。

1週目は数式を追いかけるだけに始終したきらいがあるので、2週目はさらにゆっくりと全体像をイメージすることを心掛けた。さっと通過した場所にも、気づくことがたくさんあり、新たな満足感を得た。

とくにベクトルや行列については、単純に記号の計算法則のようにとらえるのでなく、具体的な数列(フランス語でいうとセリーである)の掛け合わせ、展開や新座標への変換をイメージしながら考えると、がぜん統計学の面白さが深まる。




2025-03-01

書評:データ解析のための数理統計入門



データ解析のための数理統計入門
久保川 達也
共立出版


書評、というよりむしろ読書体験記だ。

数理統計学では、「現代数理統計学の基礎」(同著者)と、「現代数理統計学」(竹村彰通)の2つの書物の評価が高い。いずれもハイレベル。本書は、その前者の著者が「現代数理統計学の基礎」の内容をもう少しかみ砕いて再構成したものある。

いうまでもなく、それなりに高度な内容だと思う。
個人的にちょっと気になるのだけど、この本のレベルって、世間(統計学をやっている人たち)の基準だと、どうだろう?

私は門外漢に等しいので、この本の難易度がどれぐらいなのか、正直言ってよくわからないのだ。理系で、しっかりした大学か大学院に行くぐらいの人だと、この本は「ヨシ、いっちょやるか」ぐらいで読めるレベルなんでしょうか?それともやっぱり難しいのでしょうか?

いずれにせよ、統計学というよりも、統計学で使われている諸定理の数学的な背景をしっかりと扱った本である。数学的な基礎力と体力を含む、読む人を非常に選ぶであろうことは間違いがない。

* * *

内容については、カバーしている範囲が非常に良い。狭すぎず、広すぎずである。

私は「統計学の数理(桜井)」とセットで読んでいて、「データ解析のための数理統計入門」を応用や発展形の内容として使っている。後半に、話題が広がるのは非常にありがたい。そもそも、多変量解析や階層ベイズ法なんて、それだけで1冊の本が必要なぐらいだと思うが、本書では基本的な定理の導出過程、その基本的な流れを数学的に扱うにとどめている。矛盾する話だが、それゆえ全体像を知りたい私のような人にとってはちょうど良いともいえる...。

個別の観点から言えば、もっと具体的なトピックを含む説明が多く書かれていたほうが良いが、この本は数学的な説明に絞っていて、逆に、全体像を与えるようなまとまりの良さを与えている。
その深さも、読みこなすにはそれなりの苦労が必要だが、これぐらいがちょうどよいのかもしれない。「現代数理統計学の基礎」だと、トゥーマッチな部分があるのだが、本書は私にとってもどうにか乗り越えられるような、超ハードだけどぎりぎり味わいも感じられる深さだった。
もちろん、独学の場合、そうとう上手に調べたり、頭の中でぐるぐるとパーツを組み立てて、全てのステップをゆっくりと進めて、概念を「記号接地」させないと、すぐに手に負えなくなるだろう。

もうすこしだけ、書評っぽいことを書いておこう。

本書において著者は、多少行間を埋めるような配慮をしているとみられる。アマゾンの書評でも、そのように評価している書き込みがあった。とはいえ4/10ぐらい、つまり10の内容に対して4説明しているぐらいである。たしかに1/10よりはマシであるが、10/10ではない。しかも、そもそも、その4についても「とてもエレガントな工程を描いておき、そのうちの4を与えている」という感じがする。それっていいのやら悪いのやら(?)

対比して言えば、ある定理を一番細密に描くならば、全体で20ぐらいになるかもしれない。そのほうが本来わかりやすいし、自分でいうのもなんだが、独学では効率よいと思う。(この本はもしかしたら、平均ならば10で説明するものを、エレガントな発想で7ぐらいのステップに圧縮できる方法を示しているような、逆の面白さもある。)
素人なりに数学を見ていて何となく思うのだが、エレガントな工程はステップ数が少ない。しかし、細密に途中を書くならば、ステップ数が増えるし、そういう丁寧な語り方は、逆にどうしても泥臭くなる。だが、全体が20で、説明も20書くような本があってもいいと思うのである。

何が言いたいかというと、数学に詳しい人(私ではない)が平均的に必要とするステップ数を10としたとき、

  • 1/10しか説明していない本は最悪
  • 10/10を説明する本は丁寧
  • 20/20を説明する本は、専門的でない人の独習にも使えるし最高
  • 4/7ぐらいで説明する(この本!)
これが私の感想である。

そして、ようやく読み終えたのである! 夕方10分ぐらいしか読む時間がなく、たぶん1年ぐらいかかった...。章末問題はまだ未対応。だが、本文のたぶん97%ぐらいはきちんと途中式を自分で導出している...ハズ。(3%ぐらいは、モチベーションが湧かず結果だけ見てスルーした。)

途中式もノートにつけている。本書の後半以降は、ほとんどのセクションで、ノートの方が分量が多い。たぶん本書のページ数の3〜5倍ぐらいあるかもしれない。考えてみたら酔狂なコトだ。こんなことやっているから、この数年間、ロードバイクで遊びに行くことがなくなったんだなぁ。

しかし面白かった!と言うのが素直な感想だ。すぐさま、ノートを拡充させながら最初の周回に入るかどうか、考えている。1冊の書物をこれだけ時間をかけて取り組んだのは、いつぶりだろう。そういえば、分野は全く異なるが、Gille DeleuzeのSpinoza et le probleme de l'expressionを読んでいた時も似たような心境だったかもしれない。1冊の書物を読むだけなのに、根本的に新しい知識を得ることができるという機会で、それなりに時間がかかったが、得るものも大きかった。そして、それだけ楽しかった覚えがある。そういう「自分にとって稀有な書物」がたまにあるので、そのうち一覧にしてみたい。おそらく、それが自分にとって本物の書物なのだろう。


2024-11-25

さようなら、プリンス

 


ありがとう...。

改めて思い返してみれば、平地でビッグギアを踏むときの独特のウイップ感がBMCにはあった。逆にしっかりとヒルクライムしたいときは、プリンスのほうがラクだった。

私は再びロードバイクを再開する日は来るだろうか、と手のひらを見ながら問いかける。

2024-10-15

The Otaking









何を隠そう、私にとってNo. 1インフルエンサーは、岡田斗司夫(さん)だ。

私はドワンゴやニコニコ動画的な文化は一切経験していないので、彼がそのあたりをメインフィールドとしていた時期は知らないが、それでも結構昔から彼のことを知っていた自信はある。

ホリエモンでも、ひろゆきでも、成田祐輔でもない。
オタキングこそ、いまだに私淑してやまない人物である。


*****

そういえば、成田祐輔はブレイクした時期、すこし興味をひかれた。
彼の発言ではなく、スタイルにである。

成田祐輔について一言、私の印象を書いておきたい(他にこのように語られていることを見たことがないので)。

世の中には中二病という言葉があるが、それ以外にも大学院の2年目ぐらいに陥りやすい院二病というものもあると思っている。マイナーな論文でも誇大妄想的に評価したり、本質重視の独善的な論争スタイルをとり、ゼミ臭がプンプンする課題設定をするような季節病だ。

はじめて彼を見たころ、成田氏には、ものすごい院二病を感じた。ああ懐かしい、院二時代の万能感、あとで見るとこっ恥ずかしいこの感じ!である。

のちに、それは彼の独特のユーモアの一部であり、相手に合わせてあえてオフビート、あるいは斜めの角度から言って、アテンションを引くような、あくまでもスタイルなのだと分かった。ここで重要なことであるが、真に特徴的なのは、彼の発言の内容自体よりも、スタイルである。

しかも、ある種の天才的なスタイルの編集人である。実際の話の内容は、データを見て正直になろうよ、意味ないことに意味あるフリをするのはやめようよ、という常識的なことである。あくまで個人的にであるが、ああゆう世を捨てた達観者を気取るスタイルに「インフルエンス」されたくない自分に気が付いてから、成田氏の動画は見ないようにしている。

ここで気が付いたのであるが、成田氏は、あの(全盛期の)浅田彰にそっくりだ。

  • 本業は経済学のはずが、それ以外の分野で評価されがち。
  • マスコミに一気に持ち上げられてちやほやされる。頭の悪い普通の人を見下すようなスタイルが痛快で、なにかアクロバティックにマスコミに評価される。
  • 経済学の院生がゼミで語るような複雑な経済論・社会論を、独特のユーモアによってエンタメっぽく語れてしまう。
  • ある意味で絶対的なポジションを取らない。浅田はポストモダンなマルクス主義、成田はデータサイエンス主義っぽい立場をとるが、議論を有利に運びやすい方便と割り切っているようにもみえる。本当に言いたいことが何か、アイロニーでオーバーラップされるのでよくわからないこともある。浅田が(ポストモダンなマルクス主義者ではなく)実は正統なモダニストであり、成田が(アルゴリズム的社会の先に見据えているのは)実は学問的な権威主義だったとしたらどうだろう?案外間違っていないと睨んでいる。
  • ハイアートへのセンスがやたら高い。ただし、アヴァンギャルド芸術のややこしい論争をものともせずキレキレの言説を繰り出すようなパワーは浅田が一歩も二歩も上手だった。その意味で成田は国内の「アイドルとかアーティスト」相手にお茶を濁しているような印象もある(そういう動画は最後まで見るに堪えない)。
  • そして、二人とも、ポエムに手を出している(笑)。

私は浅田彰は遅れてきて読んだのでリアルタイムではないが、なんとも似ているではないだろうか。余談でした。


*****

本題のオタキングである。彼が提唱した理論(本質論)のなかで、もっとも素晴らしいものが3つあるので、ここで紹介したい。(私が知らないだけで、もっとあるかもしれない。)

  1. シャーデンフロイデ理論と、オーバーロード仮説
  2. モチベーションに基づく人格の4類型
  3. 笑い、怒り、感動の本質

この3つは素晴らしすぎる。美しい話なのである。

まず、1については、欧米的な、あるいはTED的な、アジェンダ設定文化というものに少々食傷気味な私にとっては、とても腑に落ちる話であった。
2については、おそらく岡田斗司夫ファンの周りでは有名だと思う理論なので、ここでは触れない。
3については、あえて、すこし話を拡張したい。

もともとオタキングの提唱しているのは、「笑い」=「攻撃性の代償行為」である。

ここで少し前置きとして、もともと仏教的な人間観が基底にあることを押さえておこう。「私」とは、西洋的な自立した個人としての「人間」ではない。私とは、連続的な入力情報に対して、ひとつの単位として対応するためテンプレを集めた不完全なまとまりである。

このようなモチーフは、たとえば、オタキングが政治的な問題を語る際にも垣間見える。「私のなかで1割は〇〇を支持する、別の1割は△△を支持する」といった具合だ。これはオーバーロード仮説とも通底している。

さて人間は、特定の強い信号に対して、それをそのまま受け止めて記憶に保存したり、出力側に発露(行動)するのではなく、変換するパターンをいくつか身に備えてきた。そのひとつが「笑い」である。

笑いは、攻撃性を出すとき、あるいは攻撃性を受けたとき、それを別の感情に変換したものであるというのがオタキングの主張である。たとえば攻撃を受けたとき、攻撃を受けた人を見たとき、攻撃をしたいとき、などの状況で、「攻撃」という本来厄介で、精神的にも負荷の強い情報を、もっとソフトな感情に置き換えるのである。

それゆえ「地獄には爆笑があふれ、天国には微笑しかない」のである。

オタキングは、こうした「本質論」について、しばしばハインラインのSF小説を出典にしているところが、非常に面白い。そもそも、オタキングはガイナックスの初期の時期に「感動」の本質について探求していた時期があり、そこからさまざまな発見をしたという。

では、その感動とは何か。

オタキングによれば、感動は、罪悪感であるという。人間は罪悪感を感じたときに、それを背負うのではなく、「感動」という感情に変換させることによって、「私」としての精神の一体性を保つという。そして、そこに物語としての整合性が生まれるのだ。

これもまた面白い主張だ。だが、私は少しここで、自説を入れたい。それがこちら。

  • 笑いとは、攻撃的な感情を変換させたものである。
  • 怒りとは、無力さの感情を変換させたものである。
  • 感動とは、犠牲に対する感情を変換させたものである。

感動のところだけ、私は「罪悪感」ではなく「犠牲」と置き換えた。オタキングの言う「感動」は、もちろん罪悪感を含むが、「犠牲」のほうがもう少しコアをついていると思う。いかがだろうか。

オタキングへのリスペクトを込めて、少し書いてみた。




2024-09-23

書評:統計学の数理


統計学の数理
桜井基晴
プレアデス出版 (2022)


これは神本かもしれない。
最近ようやく読了した(演習問題はまだ)ので、軽くメモ。


統計学を学ぶとき、数学的な側面にどの程度こだわるかという問題がある。

統計学では、奥深いテーマを考えれば考えるほど数学的な議論がメインになってくるのだが、誰しもが数学的な素養があるわけでもないし、時間をかけれるわけでもないし、そもそも好きかどうかも分からない。

その上で、「統計学を、数学側の視点からもやってみようか」と思ったとき、独学者が一歩踏み出すための指針となる本が意外とない。私の知る限りでは「統計学のための数学入門30講」(永田靖、朝倉書店)と「大学の統計学」(石井俊全、技術評論社)あたりであろうか。マセマの「統計学・演習」は出発点としては極めて秀逸である。


本書は数学的な理論がメインで、実践的な内容は書かれていない。数学のみを語るという意味では、「統計学のための数学入門30講」のテイストが最も近いが、同書はやや「数学の復習」という体裁が強く、それでいて数学をほとんど知らないか忘れている人が取り組むような流れになっていない。情報はあるのだが、味気がない、いわゆる「まとめ本」なのである。登山で例えれば、装備の説明と、各山麗の攻略法の概要を載せているような流れである。

だが、統計学で使われる重要な諸定理を片っ端からクリアしていこうとすると、この3つの書籍のいずれも、やや物足りない。実際に、自分の手で計算をして、定理を導出できないものか、という思いを抱く。

その点で言えば、本書は数式の行間をひたすら追っていくスタイルである。山登りをするときに、実際のルートファインディングして踏破することが目的の人にとっては、こちらの方が実体験を与えてくれるので都合が良い。特に後半は高度感が増してくるので、次のレベルを目指すための下準備としても良い。

私は高校2年生ぐらいから数学はほぼ何もやってこなかったタイプである。「ああ、こうやって歩くんだな」ということを、数式で一行一行踏破していくことができるのは、非常にタフでやりがいがあった。そこには、ルート攻略をイメージしながら、ステップを踏んでいくという、フィジカルな経験にも似た楽しさがあった。


本書は、統計学の数学という、本格的な山脈の歩き方を教えてくれるナビだが、大学初級程度の数学的道具をもっていることは前提となっている。具体的に言えば、微積分と線形代数の基本定理、マクローリン(テイラー)展開、ランダウ記号(余剰項)の処理、重積分、2変量の変数変換、ヤコビアンの処理あたりである(特性関数、ベイズ統計やルベーク積分は使われていない)。完璧に使いこなせることはないとしても、これらの道具の扱い方を多少は心得ておかなければ、前にも後ろにも進めなくなるだろう。そのあたりは読者がどうにかしなければならない。

ただ、これは数学素人の私見だが、統計学で使われる数学は、それなりに高度な理論を使うのが、それぞれの理論分野においては、とてもシンプルで見本のようなセッティングが使われるのである(例外がなく、条件設定が少ない多いと言えばいいのか)。もちろん、他書や、ネット上で解法を解説している情報を見ていると、そんな証明方法は思いつかないなぁと思うようなパズルっぽいことがなされていることもあるのだが、少なくともこの本は普通に踏破できるような道筋で、どこまで行けるかを示していると思う。その点、誰かに教わるのでもなく、ただ勝手にやっているだけの(私のような)完全な独学者でもどうにかなる。


関係ないが、さいきん山登りにとても興味がある。自分の足で険しい山道をすすみ、途中さまざまな中間ポイントを経由しながら、自分の道具を再点検し、ルートを確認して、さらに先に進む…、ということが似ているのかもしれないな。



2024-02-08

Yamaha GC42S




クラシックギター(Yamaha GC42S)を買ってしまいました。

素晴らしい音で、操作性も良い。心が洗われそうです。

このところクラシックギターの練習も順調で、自分なりに新たなフェーズに入ってきた気がします。

おそらく転機のひとつになったのはバッハのBWV998(プレリュード、フーガ、アレグロ)に取り組んだ去年頃で、運指に対する見方、右手の効率的な動かし方など含めて大きく変わった気がします。そのあと、チューニングで6-Dを使う曲を中心にいろいろと楽しみながら、ふと気分転換のつもりでBWV1003(フーガ)に取り組みなおすことにしました。この曲は6年ぐらい前に最初に練習した曲だったのですが、当時は暗譜と弾きこなすことだけを考えていたので、いまにして思えばボロボロでした。「弾ければいいや」ぐらいの軽い気持ちだったのですが、自分にとっての理想はタチアナ・リツコヴァみたいなスタイルです。(彼女のBWV1003は世界一。タチアナしか勝たん。)彼女のスタイルは、優雅で洗練されており、システマチックな抒情性みたいな本質が出ていると思う。譜面の解釈だけであのようになるのか、考えてみると奥が深いのです。アレンジもかなり大胆なことは間違いないのだけど、調べられる範囲では特に情報がありません。彼女の演奏の素晴らしさがどうしても気になっていて、BWV1003は、いわば永遠の課題となっていたのでした。

2024年になって偶然、雑誌「現代ギター」のウェブショップでバルエコ編のBWV1003の譜面を発見。何の気なしにバルエコ版を引いて見るとなかなか目から鱗なことが多くて面白いのです。これで思い立って、自分の過去のBWV1003を捨てて、完全に新しい気持ちで練習してみることにしたのでした。過去と同じテンポやアゴーギクで弾いても違いがあります(自分比)。すこし思っていた世界に近づいたなか、と、そんな最近です。

それ以外にも、コロナで世間が揺れた2020~2023あたりに触れた数々のマイ・スペシャルな曲たちがありますが、それらは触れないでおくとしましょう。

最近は、将来の目標についてすこし強気になりたいと思いました。

ひとまず今の練習課題曲たちが落ち着いたら、いよいよBWV1004(シャコンヌ)に取り組んでみようかと思います。多くのクラギ愛好家たちの目標曲のひとつですね。私もそろそろ着手したくなってきました。そういう心境の変化もあって、節目になりそうな気がしています。

それだけではありません。アンドリュー・ヨークのサンバーストとムーンタンの譜面もゲットして、眺め始めています。現代曲、特殊奏法を大胆に活用、ポップさもあるという3点つの条件でかんがえるならば、最高峰だと思います。もともと、この高度な2曲は私には縁のないものだと思っていましたが、長期的な目標にしてもいいんじゃないかと思い始めています。まだ譜面上の情報の基本的なチェックのみで、リズムの取り方とか指使い(あとは強烈な特殊奏法!)などを細かくチェックしていく本当の作業は、まだまだ先になると思いますが、意外とがんばれそうな気もしてきました。チューニングにしても、6-D、1-Dというもので、ほんの少し前であれば手を出したくなかったですが、6-Dぐらい普段からよく使っていますから、あと1弦も追加でチューニングを変えればいいだけなので、考えてみればやれそうな気がします。

ということでクラギライフ、順調です。

2022-11-13

Godin Multiac Grand Concert Deluxe

Godin(ゴダン)というのはカナダのギターメーカーで、極めてユニークかつ高品質な製品が特徴だ。基本的にアコースティック系の音を求める人にとって気になるブランドだと思うが、ゴダンのギターには、そこに非常に精密なエレクトリックなシステムが融合している。エレクトロニクスとアコースティックのハイブリッドだ。

メカニズムに関わる部分を大げさに言えば、通常のエレキギターはアンプの性能(鳴り)を出すためにピックアップの特性とボディが決まっており、通常のエレガットはボディの音(鳴り)をできるだけそのままマイクで拾って増幅することを目指しているとすれば、ゴダンのそれは少々異なる独特のアプローチだ。まず、生音で言えば、サウンドホールはないものの、基本的にガットギターの音と言った方が良い。しかし、そのままガットギターの音ではなく、ソリッドギター(さらにいえばテレキャス)の音が聴こえてくる。予想外の感覚だ。クラギの言い方で表現するならば、シダー系の素材で、乾いていて、芯のある響きが全フレットに感じられるが、そうはいっても高次倍音の反響の大きさで装飾しているようなところがない。反響おさえたムラのない音と言えるかもしれない。

だが、真に面白いのはエレクトロニクスとの融合の部分だ。ピックアップは、L.R.Baggsのカスタム仕様とされ、各弦ごとに独立したピエゾがセットされている。(実は、これにマイクサウンド、テープサチュレーション、フェーズコントローラーが含まれている。)ようはボディの音響特性に合わせたカスタムピックアップを各弦ごとにセットしているのだ。これにより各弦の干渉を避け、GR-55等のギターシンセとの誤動作を抑えることができるとされているが、そもそもこのギターの最大の特徴は気を衒ったギターシンセではなく、最速のレスポンスと、クオリティの高いキャラクターの味付けと、非常に歯切れの良いバランスを実現していることだ。それゆえ、アンプのキャラクターで味付けすることを前提とせずに成立する。今の段階で、エレクトロ・アコースティックと真に言えるギターはゴダンだと思う。

とまあ、少し紹介をしてみた。今回、縁があって、
Godin Multiac Grand Concert Deluxe (2021) を買った。

もともと私はクラシックギターを弾くのだが、クラシックギターを買い替えたかったのでもなく、あるいはエレガットを欲しかったのでもない。直接の発端は、Yamaha SLG 200NM(サイレントギター)を手放したいと思っていたことだった。練習用に持っていたこのギター、実は嫌いだった。言い出すとキリがないのだが、まとめてみたい。Yamaha SLG 200NMをクラギの練習用に手に入れようかと悩んでいる人がいたら参考にしてほしい。(なお、クラギのつもりでないならば、良いギターだと思う。要は目的次第である。)
  • ボディの重心がはっきりしない(その割に重い)。自分の体とのフィッティングが悪い。
  • ボディの位置を安定させるために、無理な姿勢をしたり、体に押し付けるようになる。
  • 木製の枠の部分に謎のカーブがあり、脇腹とかお腹に食い込んで痛い。
  • しかしボディが反響せず、ヘッドフォンとしないと音が聞き取れないので練習にならない。
  • ヘッドフォンを使っては耳が疲れるので、長時間練習する気になれない。
つまり練習を阻害する要因だらけなのである。おそらく小さいこと、サイレントなこと、アンプに繋げればライブに使えることという、3つを同時に実現することを狙ったのだと思うが、正直言って製品として矛盾していると思う。

そんなわけでYamaha SLG 200NMについて悩んでいたのであるが、そんなときにGodin Multiac Grand Concert Deluxeを見つけたというわけである。そう、実は上で書いたような「エレクトロニクス」については、そもそもそれほど重視しておらず、練習用のギターとして、サイレントギターを探していたのであった。

私にとって良い楽器とは、最低限、以下のことが重要である。
  • その楽器で演奏可能な各音域について、ピッチやレスポンスに破綻がないこと。
  • サウンドキャラクターの変化について、コントール性があること。
  • 音域や奏法上の限界点を、ある種の心地よいレスポンスとして教えてくれること。
  • 演奏者の身体との間にアフォーダンスの関係があること。
  • 演奏者の体にフィットすること。ポジショニングができること。
Godin Multiac Grand Concert Deluxeにはこれらが備わっている。クラギの練習用のつもりだったが、すごく魅力的なギターで、非常に驚いている。







2021-09-08

M1 Mac Air

これまでで14台目のMac、MacBook Air (M1) をポチしました。

この記念に、これまでのMac歴を書いてみようと思います。

そろそろ記憶も薄れてきました。昔のMac歴を思い出せるのは、そろそろ限界そうなので、自分のため?にも記憶を残しておこうと思います。


1.  LC630

これが最初のマシンで、OSは漢字Talk 7.0でした。一緒に買ったのは「Mac VJE-Delta」「RAMダブラー」あたり。一番やりたかったことは、多言語でのレポート作成(「Nisus Writer」)と、音楽関係ソフト(「MOTU Performer」)を使うためでした。

音楽と言えば、シンセサイザー(Korg 01W)と、Yamahaの8 track MTRがつながっていました。この時期はたしか「Apple MIDI Manager」というアプリで、Apple Talkという通信ケーブルを使ってMIDIをやり取りしていましたが、当時の私にはほとんど理解できていなかったと思います。(ちなみに、現在のOS XのCore MIDIのインターフェースを見てみると、当時の面影を少し感じます。)

パソコンってのは本来、道具であるはずなんですが、いろんなことをするのが楽しくて、何か新しいことを「試すこと」自体がパソコンの使用目的みたいになっていったのでした。そう、誰にとっても10代後半から20代にかけて、新しいことを浴びながら自分の世界観が広がっている「ワクワク感」の時期があると思います。自分のいた時代に、社会で何が変革していたかによって、その世代の人が「ワクワク」することの内容が違うと思いますが、私の場合はインターネット直前から黎明期ぐらいの時代の社会の移り変わりには、リアルタイムで新しいことを実感するワクワク感が強かったです。

そうです。私の世代は、アナログやインターネット以前の時代をギリギリちゃんと知っている世代なんです。上の世代はアナログの世界観でやっているのを見ていたし、その雰囲気はわかる。ネットですべて変わっていった時期も知っています。デジタルネイティブ世代ほどはデジタル・オンリーではないが、そもそも80年代のテープレコーダーを使ったPCのスタート地点から体験しているし、上の世代ほどデジタル・ディバイドされていません。アナログを体感している最後の世代で、デジタルのスタート地点に世代だとすると、これって人類史的に貴重かもな、と最近思い始めています。


2.    PowerBook 540c

ほどなくしてノートパソコンへのあこがれが高まり、乗り換えました。当時はTFT液晶の価格は高く、ぜいたくな買い物だったと思います。ハードウェアのデザインはユニークで素晴らしく、現在だとこのような似非SF的なデザインは絶対にありえません。

良いものを買ったのだからこれで落ち着いて大学生活をきちんとやるかと思いきや、やっぱりパソコンで遊んでばかりいて本末転倒なのでした。学業もそれなりにちゃんとやってましたけど。

インターネットに接続したのもこの時期。OSには標準機能として取り入れられていなかったので、TCP/IPスタック、電話回線用 (PPP) のコンフィグなどをいくつか入れていたような気がしますが思い出せません。ネットでは、ヨーロッパの美術館などがかなり大規模な画像データを公開してくれていたりして、当時は好きだったので、かなり大量に見た気がします(自分で画集を買うことなんてできない)。

ネットでAppleのページを見るようになると、やれOSのバグフィックスだ、バージョンアップだという情報に左右されるようになり、悲しいかな、漢字Talk 7.5.1が7.5.2になったぞ!とかそういう非生産的(後で考えれば)なことに一喜一憂するようになったのでした。

最終的にはOSはUS Ensligh版をベースにして、Language Kitを入れるスタイルでした。日本語キットだけでなく、キリル言語、中国語、ヒンディー語などすべてあったたような気がします。この時の経験は、大学で多言語編集のバイトをしているときに役立ちました。


3.    PowerBook 5300c (Black Bird)

AppleがCopland/Open Doc構想を出して、PowerPCへのアップグレードが必須と語られるようになりました。そんなわけで私もしぶしぶ(喜んで)PowerPCを搭載したマシンへと切り替えました。このマシンも素晴らしいデザインで、シックでもインダストリアルでも、どんなデザインの部屋にでも置いているだけでもサマになります。

また、ドッキングステーションがついていて、様々な機能を持ったパーツと取り換えることが可能でした。私は、MOドライブ、HDドライブの2つのパーツを持っていました。

このときは、Apple陣営のOpen Docコンセプトと、MS陣営のOLEコンセプトのどっちが素晴らしいのかという論争がありました。Open Docを触ったときは非常に新鮮で、驚きました。結局Open Docの正史としては実現しなかったことになっているのですが、いまの感覚でいうと、Web Page上に小さなアプレットを簡単に乗せて、ユーザーは自分の好きなようにそれらを組み合わせてページを作ることができるような世界、というようなイメージに近いでしょうか。今の感覚でいえばそれほどすごくはないですね。OLEのほうは、もっと普通に実現しています。

Open Docから生み出されたスタンドアロン・アプリとして、Appleのウェブブラウザの「Cyber Dog」というのがあったのですが、これは当時の水準でいえばなかなか優秀でした。世間では「Post Pet」が流行っていた時期だと記憶しますが、私は「Cyber Dog」を1年ぐらいは使っていたと思います。


4.    Macintosh Classic

正確な時期は忘れましたが、友人からもらって、一時期、部屋に飾っていました。OS6.0.7だったと思います。


5.    Macintosh Color Classic II

正確な時期は忘れましたが、友人からもらって、一時期、部屋に飾っていました。カワイさでいえば、Macのなかでナンバーワンで、Macと言えばこれというアイコン、シンボル的なマシンだったと思います。(Mac Classicより、カラクラのほうがカワイイ。)

このあたりの時期のガジェット方面では、AppleのNewton Messagepad、Palm Pilot、ザウルス、IBM PC110、Win CEあたりには一通り手を出しています。この分野全体でみんなが(iPhoneが登場するまで)とにかく「正解」を探しているような時代でした。客観的に言えば、HP LXシリーズやPsionを持っている人が一番幸せになったと思います。私は、欲しいものに出会えない旅に飽きてしまい、これ以降、紙の手帳派になりました。

ちょっと中身の話ですが、Newton OSの斬新なユーザーインタフェースと、それを生み出している開発環境が面白いと思いました。Newton OSの開発環境は、たしかObject Pascalだったと思います。そして、それを何千倍ものスケールにして成功させたのが、iPhone + Objective Cだったのではないでしょうか。

さらに言うと、コンピュータの動作、OSってなに?アプリってなに?みたいな部分で、本当に面白いと思ったのはSmalltalkです。たぶんこの時期だったと思うのですが、商用Smalltalk-80のフリー版や、Squeakといったものを触っていたのでした。Smalltalkを触ったときのびっくり感は忘れられません。はじめてUnixのネットワークシステムを触らせてもらったときの感動は「なるほどね!これは確かにしっかりしたシステムだ!これで原理的に世界とつながるな!」だったんですが、Smalltalkに出会ったときの感動は「なにこれ!?すごいことはわかるけど、マジックみたい。ちょっと分からないけど、とにかく触って、少しでもわかってみたい」でした。結果、Adele GoldbergのSmalltalk-80も読んでいます。

私にはいまだにあの時の感動が残っていて、日常で仕事のことを考えているときもオブジェクト指向的に分析する癖があります。もっと飛躍して言えば、例えば憲法や法律なんかは自然言語ではなく、Smalltalkのようなオブジェクト指向言語で書いたらいいんじゃないかとすら想像してしまいます。AIで裁判官を作るよりもいいんじゃないかしら? 新しい判例なんかもすべてオブジェクト化して入れていくわけですね。親権と債権とかは共通部分はクラス・オブジェクトにできそうですし、各種の法令内で派生させる場合は、インヘリタンスさせてるとよさそうです、等々。人間には読む、解釈する、書くというアナログな行為が残りますが、それって大事なことで、ブラックボックスのAIよりもよほど一貫性、透明性があります。


6.    Akia Mac clone

Akiaという国内メーカーのクローンマシンです。高品質の液晶がついて割とリーズナブルで、一時期使っていました。たぶんこの時期ですが、Virtual PCか何かのエミュレート環境にNext Step/Open Stepを入れようとして、悩んだり遊んだりしていました。なんでそんなことを思ったのか、まったく思い出せません。たぶん友達と盛り上がったのでしょう。

さて、Appleの完全オブジェクト指向型アプリケーション実行環境であるOpen Doc構想が失敗なのは明らかとなり、大学のゼミなんかでもWin NT/Win 95のhigh-low mixがいいんじゃない?的な風潮になっていって、ちょっと寂しい思いもありました。

余談ですが、大学であまっているPPC 601 (80MHzクラス)のマシンにBe OSを入れたら、あまりのスピード感に、度肝を抜かれました。当時の日本のメーカーには、Be OSを買って勝負をかけるというアイデアはなかったのでしょうか。

この時期は未来の予測が難しい時期でした。Web 2.0も、SNSも、スマホもYouTubeもなかった時代です。ひとまずアプリケーションがネットワーク対応型になる(クラサバ型とかいろんなタイプがあります)的な話で「Javaどうするよ」といった議論がなされていた記憶があります。よく覚えているのは、Wired誌の2つの特集記事で、「To be, or not to be」というBe OSを扱った号と、「What's NEXT?」というNext Stepを扱った記事で、それぞれ刺激的な内容でした。うろ覚えですが、後者ではAppleに戻る前の一番複雑な時期のジョブスが、Enterprise Object Modeling、WebObjects、Agent oriented modelといったタームと語っていました。私は学部生の身分だったので、本業と関係のないことをあれこれ読んでいる時間はありましたね。


7.    SE30

正確な時期は忘れましたが、友人からもらって、一時期、部屋に飾っていました。LANのアダプターをパーツ屋(たぶん「秋葉館」)で買って増設。NetBSDのインストールを試みた思い出があります。BSD Unixを入れて何をしたか(したかったのか)は、思い出せません。Unixなんて大学にいくらでもあったから、たぶん目的なんてなかったでしょうね。

古い世代Macのマニア的には、このSE30と、クアドラ700が、Macのハードウェアデザインの最高峰だと位置づけられていると思います(たぶん)。個人的にはMac Cubeが一番好きですが!


8.    PowerBook 2400 (Comet)

いわゆるサブノートサイズで、十分な処理速度がありました。大学でレポートや論文を書くことが多くなったこの時期、まさしくベストフィットなマシンでした。原稿のメモ書きみたいなことが半分、きちんとした推敲が半分ぐらいだとしたら、それぞれベストな環境は別となるはずなんですが、そういうメモ書きも、仕上げも、効率的にできる良いマシンでした。図書館などでポチポチできる、ゼミ室のレーザーライターを使いたければ、さっと持って行って使える、みたいな。


9.    MacBook Pro (Pismo)

値段でいえば、その後も含めて、最高金額だったと思います。あの時期のレジン系の筐体で高級感を出すデザインとしては、ThinkPadの伝統的なデザインと双璧をなす、ノートパソコンの到達点ではないでしょうか。時期的には修論から博論にかけて、遊びでいえばCuBASEがノートでガッツリ動くという感じのマシンでした。

CuBASEは良いソフトで大好きでした。ただ、ガッツリ動くと言っても、オーディオプラグインでシンセサイザーを数個立ち上げるとすぐにCPUメーターがマックスするになるので、余裕はありません。また、この時期はなぜかFM音源が好きで、モジュレーターとアルゴリズムを組み合わせて、いろいろとサウンドを創る深みに触れるのが楽しかったです。

ハードウェア型のシンセサイザーとしてはチョット奮発してYamaha Motifや、MU2000があり、そこにFM音源と、Virtual Accousitic音源のカードを指していました。

MAXについても触れておきましょう。Opcode MAXというアルゴリズム作曲ソフトは、結構初期バージョンから知っていました。新宿の初台にあるNTTのセンターにある「Intercommunication」のスタジオにあったMAXのセミナーをうけて、そこで刺激を受けました。(これもかなり薄い記憶ですが、私の隣に座っていたのが、あとで考えれば、よくテレビに出ているジャーナリストのモーリー・ロバートソンさんだった思います。ちがったらすいません。)

このMAXに、映像系のアルゴリズムを実装したmspというモジュールがついて、一般的に認知度が上がったのは多分この時期だったと思います。私にとっては完全に趣味の世界だったのですが、MAXって学業の合間にちょっと創造的なことをして息抜くにはちょうどよく、大学院の授業が忙しくなってきた合間をぬって、ちょっとした作品を作り、どこかの工業大学が主催したセミナーで発表したこともあります。やったことだけは覚えていて、マイケル・ナイマン的なミニマム・ミュージックの旋律が生成されるようにプリセットします。それに時間軸で変化をかけたものを重ね合わせていき、スティーブ・ライヒばりのモアレを出します。それが音楽部分で、きちんとしたメロディー感のあるものにしています。その上にサウンド系のイベントと連動して、画像系のオブジェクトがスイッチされるようにして、映像も自動生成されるようにしたものです。(趣味レベルで一晩で作れる簡単なものですよ。)

あまり話題になりませんが、MAXのもっていたパッチ・プログラミングのスタイルは、その後のあらゆるプログラミング教育ソフトに影響を与えているんじゃないでしょうか?

そういえば、そのMAXの元となるシステムを開発したフランス・パリのIRCAMを訪れたのは、下のMacBook whiteの時代でしたかね。そういうつながりも自分の中にあります。

他方で、OS X Developer Releaseをインストールしました。これには思わずうなりました。良いとも悪いとも言えない微妙さに。私はソラリスの上に乗せたOpen Stepのデモ機を触ったことがあって、そのあまりの微妙さを知っていたので、BSDの上に同じことをやったMac OS X "Rhapsody" は、まあそれと比べたら全然いいけどね、ぐらいの気持ちでした。


10.    MacBook plastic white

Appleがハードウェアに固有名を付けなくなってきた時期で、もう具体的なマシン名はわかりません。このマシンは博論の作業環境でした。ドラフトは標準のエディタでrtf形式、図形はイラレで描いてベジエ化した素材、仕上げはMellelというイスラエル製のワードプロセッサーを選びました。最初にMacを買ったときに選んだ「思い出のNisus Writer」に最も使い勝手の近いソフトが、このMellelでした。非常に使いやすかったです。

ちなみに、私は大学時代に何度もLaTexに行く誘惑にかられました。何でも教えてくれるLaTexウイザードみたいな人もいましたが、結局行かずじまいでした。いまだったらMS Office一択ですけどね...。

Mac OS 9が、Mac OS Xに完全移行したのがこの時期です。MellelはOS X対応という点でも、当時の私にはベストな選択肢でした。


11.    MacBook plastic white

このマシンから、Intel Core2Duoとなりました。よく覚えていませんが、子供(赤ちゃん時代)に電源ケーブルをナメナメされて、調子が悪くなったとか、そういう理由で次のマシンへと移りました。

Mac OSは、Lionぐらいから完全に安定し、完璧になりすぎたせいか、逆に気になることすらなくなりました。もう動けばいいやぐらいの感じでしょうか。ライフスタイルそのものにも、アナログを如何に適切に取り入れるかに注意するようになりました。


12.    MacBook Pro (13) 2012

2000年代の中ごろからAppleは急激に総合的な製品開発力が高まっていきました。なんというか、iMacみたいな企画力というよりも、実際のパーツの作りこみだとか、ソフトウェアとの融合という部分です。別の角度から言えば、尖った製品力があるだけではなく、全方位的にものづくりメーカーとしてみてもずば抜けているという感じです。要は日本車みたいな強さのスタイルですね。

とりわけ、このマシンがでたのはジョブスの神通力が強く出ていた時期ではないでしょうか。このころのApple製品は隅々まで品質が高く、品質を考えると価格も安いと思います。スタバを見ればMac Airだらけという時代でした。

私自身は逆にApple製品への興味が全くとは言わないがどんどんなくなっていき、どうでもよくなっています。それでも1台選ぶとしたらMacですけどね。

このマシン、いまでは、CPU的には最新アプリを動かせなくなったけど、それでもセカンドマシンとしては普通に使えます。


13.    MacBook Pro (16) 2019

現在のメインマシンです。Windows 10とのデュアルブート環境になっています。98%ぐらいはWindowsが走っているという、Macはどこ行った状態です。


14 MacBook Air (M1)

さいきんMacを使うことが少ないので、ちゃんとMacを使うため、サブマシンにする予定です。

2021-04-05

Panzer Corps 2(その5)

  Panzer Corps 2攻略、最終回

前回からの続き、Panzer Corps 2攻略日記です。史実では、西部戦線と東部戦線での劣勢から総崩れとなり、いよいよ国境沿いの後がないところまで追い詰められます。ここでドイツは、起死回生の無謀な作戦を2つたてます。


アルデンヌ攻勢

まずは西部戦線で連合軍の補給地を急襲するためのアルデンヌ攻勢から。史実ではTiger 2で精鋭部隊を組んでアルデンヌの森の突破、アントワープ港の奪取までをもくろみます。序盤はTiger 2の性能にものを言わせて突進し、奇襲効果もあって敵は大混乱に陥ります。しかし、補給がない、制空権がないのでそもそも行動が制約されているなどの理由で、道半ばで作戦失敗となります。

というわけで、ゲーム上のマップを見渡してみます。まず問題の森林地帯ですが、移動がうまくできないので、これを使って敵の側面をつきたくても、あまり成果を期待できなそうです。そもそも制空権が取れていることが前提であり、うかうか森の中に部隊を入れて渋滞を作っていたらいい標的になりそうです。ちまちまやってナミュールまで突破できるかどうか?

それよりも敵の正面を抜きます。リエージュを主攻勢軸にして戦線を構築。森は、逆に盾(バッファ)にみたてます。主力の各種部隊をきちんとフォーメンションして、対空砲もきっちり配備。結局どのマップでもそうですが、制空権の確保を最優先とするべきです。

リエージュとその前方は敵がかなり固いので、じわじわした打ち合いになりますが敵にとっても攻めにくい地形です。野砲は徹底的に育てているので、火力を集中できる陣形を組めさえすればチャンスは来ます。程よいタイミングで渡河して背後からリエージュを包囲。リエージュを落とすころには敵は戦略的予備を失っており、ナミュール側の部隊とも邂逅します。あとはブリュッセルまで一気に狙えます。これで当時のドイツ軍が夢にまで見たブリュッセルの再占領が成功です。

ゲーム中は始終、敵の行動は消極的で、波状攻撃で襲ってくるような局面はありませんでした。史実でのドイツ側の奇襲的な性格を反映して、敵AIが調整されているのかもしれないと思いました。


春の目覚め作戦(バラトン湖)

つぎは、春の目覚め作戦で、ここで東部戦線に戻ります。この戦いでは、ハンガリー方面の油田地帯を確保するためにブタペスト近郊で会敵、付近の領土を取り返すような想定で作戦がたてられていました。といっても典型的な無謀作戦であり、史実では虎の子の戦車部隊を無駄に損耗しただけの結果となりました。

加えて、史実ではバラトン湖北部を主軸に東進し、ソ連軍部隊の突出部をバルジ的に挟み込むことを目指すも、あっさりと敗退します。ゲームでも敵の突出部が何となく再現されているようで、この時期にふさわしい重厚なソ連軍機甲師団が配置されています。

一方ドイツ側ですが、バラトン湖の南北に2方面に部隊を配置できるようになっていて、史実とは別の状態ですが、ブタベスト近辺で南北から敵を挟み込むことができそうです。とはいえ、こんな強そうな機甲師団を挟む気になんてなりません。(このゲーム、じつはヴェレンツェ湖と混ざってデザインされているんじゃないかなぁ、そのほうが史実に近い地理感があるかも。)



いずれにせよ北岸の部隊が敵の主力を迎え撃つのは避けられないので、まずは策源地からどのように陣地を組んでいくかを考えます。基本はこれまでと同じです。基本的にソ連軍はスチームローラ(ドクトリン通り?)で来るので、野砲等で敵の第1撃を防ぎます。そのあとは徹底的に航空戦力を使って敵の地上勢力を削っていきます。味方の戦車はとどめのところで使うといった、ピンポイントを意識します。これはエアランド・バトル的なドクトリンなのかもしれませんね。このころの敵はSU-122など、Tigerクラスでも打ち負ける敵がどんどん出てきたので、そもそも地上での戦車同士の打ち合いをやっても、新規兵の部隊ではまず勝てません。できるだけ避けます。

そんなこんなで、ドクトリン通りに展開させます。ブタベスト近辺は敵が固すぎて前に進めませんが、バラトン湖の南方方面の部隊との合流を待ってブタベストに進撃します。というわけで、部隊合流のシナリオを果たして、この時期のドイツだったら99%ありえなかったブタベストの奪還を成功させました。そうして最後のベルリン攻防戦へ。

ベルリン攻防戦

いよいよ最終戦になりました。ベルリン市街を残してすべて敵に制圧され、完全に取り囲まれている状態でスタートします。(全域マップを見ると、真っ赤です。)部隊配置場所は市街の複数個所を選べますが、今回は悩みました。最終的に空港が使える南部の2つの場所を選択します。

市街のほとんどを敵にとられること、そして自軍の拠点は完全に孤立した運用となることを想定します。そこで対空砲、野砲、戦車、歩兵などの必要数を計算してきれいに2つに分けて配置します。

具体的には、やはりエアランド・バトルを考えます。優先順位としては、制空権をとるために必要なものは空港であり、それぞれの空港に対空砲は2つは欲しいです。それらを守るために必要な野砲数、その野砲を守るために必要な部隊と部隊数を決めて、配置していきます。それらができれば、あとは敵の猛攻を防ぎきれるかどうかです。


戦闘は予想通り、ソ連軍があっという間に市街のほとんどを制圧。2つの自軍拠点は取り囲まれて、あとは耐えきれるかどうかの辛抱が続きます。

これまでに対空砲は徹底的に鍛えてあったので、数波にわたって飛来した敵航空機の攻撃をすべて防ぎきります。そのあとは温存していた地上攻撃機をフル展開して、敵のアセットを削っていきます。

ここで、これまで全マップ中で初めての部隊の損失が出ました(パンター)。Prestigeは十分にあるし、最後なのでまあ良しとしましょう。

そんなこんなで敵を撃退し、市内のすべての拠点を奪還して、めでたく勝利しました。

最後に思ったこと、コツとか

読む人はいないと思うけど、コツをちょっと書いておこうと思います。まずHeroの属性で、embushかhideか、とにかく隠れるスキルがあります。そういうスキルは、すべて、Flak 88、対空砲に付与します。このように対空砲をできるだけ隠して強化していけば、敵の航空機はどんどん突っ込んできてくれるので、断然優位です。

野砲は、関節射撃で自軍ユニットを守ってくれます。このとき、対ソフトタイプか、対ハードタイプかを計算に入れる必要があります。(榴弾か徹甲弾かみたいな違いにしてくれたら、もっとリアルだったのですが。)具体的に言うと、15 cm以下の野砲だと対ソフトスキンに対応してくれます。敵歩兵の肉薄攻撃を避けるのが最優先なので、陣地を守るためのユニットとしては15 cm野砲の一択となります。これに対して、敵の野砲や対空砲と直接撃ち合いたい場合は、射程と口径がものを言います。18 cmや22 cmなどが選択肢になりますが、このクラスの砲はロジスティック(unit slot)をとても消費するので、敵の野砲や対空砲と撃ち合いたいマップ以外は、使わないほうがいいぐらいです。

敵は基本的にスチームローラー的な電撃戦で向かってきます。侵攻作戦よりも防衛戦が主体となる後半では特にそうです。敵の動きには数回の波があるので、波の有無を見極めることが重要です。敵が攻撃的に動いているときは、こちらは防御陣形の維持を重視します。敵が引き気味の時は、こちらが前に出ます。

最後に、地上攻撃機はとことん過保護に育てたほうがいいです。もちろんすべての兵種を使い捨てにしてはいけません。ですが攻撃機は自軍の槍に相当するもので、脆さもあるので、できるだけ守る必要があります。逆に言うと、戦車部隊を重視しないことでもあるので、そのへんは戦車戦を重視したい場合は違うかもしれませんが、基本はエアランド・バトル的なドクトリンのほうがうまくいくのではないかな。

このゲームでは、西部戦線ですら、連合軍の航空戦力は意外と少ないです。史実だとムスタングが出てきたころには空はどうしようもなかったのだと思いますが、対空砲をそれなりに育ててきちんと運用していけば、そして、たとえBf109、Fw190でも育てておけば、ドイツ側でも制空権をとれるようになっています。その代わり、米英の戦闘車両は、なんだか微妙に強く補正されている気がするのですが…。

強い兵器や珍兵器をいれてunit slotやprestigeを消費するよりは、定番の兵器を育てて使い続けているほうが良いです。具体的にはTigerよりもPantherだし、コメットやシュヴァルベをいれるよりも109, 190で十分です。突撃砲は、敵の陣地や都市を攻める前半では人手が足りない時に役に立ちましたが、後半では微妙な存在となりました。44年ごろから出てくる自走対空砲ですが、そのころにはFlak 88が強く育ってきていたので、そちらをとことん使いました。つねに節約的に部隊を選択・運用するのが正しいと思います。

ということでPanzer Corps 2、バニラ版ですがまあまあ楽しみました。


2021-04-04

Panzer Corps 2(その4)

 Panzer Corps 2攻略、その後のその後のその後

前回からの続き、Panzer Corps 2攻略日記です。クルスク戦のあと東部戦線をいったん離れて西部戦線に移ることにしました。


イタリア戦線へ

まずは連合軍のシシリー上陸に対応します。これは連合軍主力兵器の性能を見る程度、さや当て程度で終了しました。航空戦は互角以上でいけそうですが、M4や対戦車兵器が意外と強いので、嫌な予感がします。

次のサレルノはさらに面倒でした。イメージとしてはTigerやPantherクラスがあれば楽ができると思っていたのだけど、ちゃんとやらないとこちらが崩れます。このマップで強く感じたのですが、おそらくゲームデザイン的に東部戦線と難易度を合わせていると思います。(陸戦はそれなりに強敵。ただし空戦はそれほど怖くないというイメージ。)

サレルノ戦では山脈の関係で部隊の連携が取れず、配置が整わない初戦は苦戦しましたが、敵の第1波を抑えた後は部隊配置を整理して善戦。東部戦線と同じ戦法で、連合軍に勝利しました。


その次のグスタフ・ライン攻防戦では、連合軍の攻撃はさらに厳しいものでした。ただし、こちらでは地形上防衛しやすい陣取りで進行できたので、野砲を固めて隙のないように敵を迎えていけば、損害自体はそれほど出ませんでした。

ただし油断は禁物で、自軍の援護射撃の圏内から少しでもずれると敵に集中的に攻撃を受けます。どうしても防衛ラインには野砲でガードしきれない部分があるので、そこは守りに徹したり、後方で補給したりといった連携が欠かせません。PantherのほうがTigerよりも足が速いので、火消し係にはPantherのほうが重宝します。

やはり防御は歩兵(擲弾兵?)でできるだけ強化しておくのがベスト。東部戦線の初期では工兵と50:50ぐらいにしていたけど、防御力重視で、工兵は減らしました。また、敵の歩兵部隊にはたまに戦車キラーみたいな強化されたのが混じっている(と思う)ので、やたら強い部隊がいたら下手に手を出さずにキルゾーンをつかって、しらみつぶしをします。

なお、少し期待した、「急造の列車砲的なもの(アンツィオ・エクスプレス)」は登場しませんでした。

ノルマンディー(カーン防衛戦)

つぎは有名なノルマンディー戦です。といっても(よくあるような)上陸部隊への迎撃みたいな行動はありません。すでに橋頭保は確保されていて、内陸の重要拠点カレーへの進行をどう防ぐかみたいなマップになります。

カーンは交通の要所であることから、「転車台」と呼ばれていて、戦略上重要な拠点です。ゲーム上ではウラヌス戦の時のような籠城戦のスタイルをとるマップになります。

どうしても西部戦線のほうがユルいイメージがあるのだけど、そんなことはありません。敵の歩兵の肉薄攻撃はやたら強力で、こんな突撃スタイルをとっていたのかなと思わされます。とくにこのマップは後攻スタート、しかも自軍陣地がすでに敵野砲の射程に入っているという二重苦があります。初戦ではどれだけ確実に敵の航空部隊を抑え込めるかがカギですが、自軍の対空砲が敵野砲の射程に入ってしまうと、非常に問題があります。


そんなこんなしながら頑張ってカーンを守り切り、徐々に反撃に移ります。ちなみに、マップの隅にはヴィレル・ヴォカージュという街があり、交差路らしきものもあります。これは演出でしょう。この地域には実際に、バルクマンというエースが守った「バルクマン・コーナー」という名所があります。史実では増援部隊をここで食い止めるのですが、ゲーム的にはそんなところにエースを送る余裕はありません。全軍でカーンをしっかり守るのが最優先というところ。街ひとつなんか、どうでも…。

コブラ作戦

フランス大西洋岸地方での連合軍のコブラ作戦に対応するマップです。史実では連合軍は苦戦しますが、それを反映して、ゲームでもやや難易度は低くなっていました。サン・ローに強力な陣地が構築されているので、そこの突破に手間取ります。それぐらいでしょうか。

ただし、この後にもアルデンヌをはじめとして激戦が目白押しのはず。エース部隊を喪失するわけにはいかないので、安全を優先してじっくり進めます。このころになると敵の歩兵との駆け引きもわかってきたので(どういうときに攻めてくる、せめてこないの距離感)、打つ、守るのタイミングの主導権を意識しながら展開できました。





2021-03-17

Panzer Corps 2(その3)

 Panzer Corps 2攻略、その後のその後

前回からの続き、Panzer Corps 2攻略日記です。まずはスターリングラード戦後の史実をたどりハリコフ戦、そしてクルスク戦へ。


ハリコフ 43

史実ではウラヌス戦の余勢をもってソ連軍がハリコフ奪還に動く。ここで知将マンシュタインは、ハリコフ死守にこだわるヒトラーの命令に背いて、いったん戦術的に退避します。その後、敵の進行ルートを読み切ったところで、背後から攻撃を仕掛けて大勝利をあげます。この戦いでの一連の機動防衛を、マンシュタインの「バックハンドブロー」と言います。

さてゲームでは、ハリコフ近辺に策源地を置いて敵を各個撃破していくパターンとなります。前マップのウラヌス戦がこれまで最高難度だった(いまアルデンヌまで来てます)と思いますが、それと比べれば見どころのないまま終了しました。

このゲームはMBTを機動的に使うと、どうしても集中砲火を受けて損失してしまうので、大胆に動かせない仕様になっていると思う。もちろん包囲網が成立するとガゼン有利になるのだけど、デメリットのほうが多いかな。その関係でいうと、いわゆるロンメル的な機動戦は少々難しそう。今回アフリカ戦はやってないけど。


クルスク

史実では、ハリコフ戦の成功により、(1) クルスク周辺にソ連軍の広大な突出部が形成され、(2) ドイツ軍にとって戦略的な攻勢が行える最後のチャンスが来たとされています。ドイツ側にとっては広大な包囲作戦となりますが、ソ連側には筒抜けで、しかも新型パンターの準備など手間取っているあいだに万全の準備を固められてしまいます。

ドイツ側は、包囲網を形成する上翼担当の部隊と下翼担当の部隊に分かれます。前作DLCでは、上か下かを選択することができたと思います。本作では、1枚の大マップにて、上下両翼をまとめて担当するような形でした。ただし自軍を直接配置するのは南方軍集団、つまり下翼部分です。上翼部分は友軍が配置されています。

前作DLCでは、ひたすらPAKをつぶしながらじわじわ前進したような記憶があります。マップを見たところ、PAKが何重にも構築されているのは西側がメインで、南北からクルスクを目指す本作マップではまさしく平原での戦車戦がメインとなります。PAKつぶしは必要ないかな?

1枚の大マップで、南北両方を見えるようにしたことから、史実の推移が感じられるような面白いマップだと思いました。

北側(中央軍集団の担当)は、南下を試みたいとこですが、すぐ後ろにブリャンスク方面軍が迫っており、いかにも背後を突かれそうなので気になって前進できません。このあとクルスクまで行って撃ち合うのだから、ここで損失は出せません。防戦に徹するが、それも危ういぐらいの状況で推移します。

南側で(南方軍集団の担当)は多少進みやすそうな雰囲気はあるけど、正面に見えるあ敵の数の多さに、しばし様子見です。消耗戦にならないように注意しながらじわじわと動いていると、側面からヴォロネジ方面軍が突っ込んできました。これに対応するため部隊を割いて、正面の進行はストップ。史実でいえばケンプフ軍支隊が西側に動いたタイミングみたいで、面白いです。

北も南もほとんど前進できないまま、それぞれ背後に集中します。圧はかけますが前には出ません。それぞれ落ち着いた段階で攻勢を開始。南ではやはりプロホロフカ近辺で敵の大勢力とぶつかりました。これも史実と同じようなシナリオになっていていますね。ゲームデザインでしょうね。

戦術的には攻撃は航空機にできるだけ担当させて、地上は防戦に徹します。勝てるときでなければ絶対に打って出ません。そのせいか、ターン数はかなりかかりましたが、消耗戦に陥ることなく、このマップもクリアとなりました。(これまで自部隊のユニットの損失は出していません。)

前作DLCだと、このあたりで経験値のたまったティーガーが無双するシーンもあったと思うけど、本作では壁がメインの仕事で、ほとんどといっていいほど活躍させていません。代わりに野砲、スツーカ、歩兵、8.8 cm FlaKあたりはいい感じになってきました。